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2004.02.27

オウム裁判に思う

麻原彰晃に対する東京地裁の判決が下った。
この件については多くのコメントがなされているので、何もここで言うことはない。

ただ残念に思うことが一つある。それは1990年に熊本県ですでに問題を起こしていた宗教団体に対して、どうしてもっと早く手を打つことができなかったかということである。
松本サリン事件の後だったと思うが、宗教法人なので警察はあまり深く立ち入ることができないというようなコメントを聞いたことがある。このころにはすでにこの宗教団体は各地で問題を起こし、あるいはこの宗教団体に子どもたちを奪われた人たちを支援する働きや、救出の働きなどが始められていた。
坂本弁護士などはこのために犠牲になっていた。この事件の捜査にしても、ほぼあきらかにこの宗教団体のかかわりが疑われたのに、効果的な捜査がなされなかったように思う。新聞の報道がすべて真実であるなどとは私は思わないが、新聞の報道の中からオウムとのかかわりは読み取れたと私には思える。

宗教団体があきらかな違法行為をするということ自体がおかしいと思わなければならないのではないか。宗教団体を隠れ蓑にして悪いことをする人は少なくないが、このオウム真理教という宗教団体の場合は、早い時期から明らかに異常な行動だったと私には思える。
松本サリン事件のときに、オウム真理教という宗教団体を疑ってもいいような材料はすでにあったはずである。警察も新聞社もそれを読みそこなったのではないか。そして別の無実の人をあたかも犯人であるかのように扱ってしまった。
ということは警察も新聞社も、オウム真理教についての情報をほとんどつかんでいなかったということなのではないのか。これは職務怠慢というほかない。正確な情報の把握と分析という点で、大きな失敗をしたのではないかと思う。この責任は社会的に問われないのだろうか。

2004.02.25

帰ってきました

長野県のセカンドハウスから帰ってきました。二泊三日の旅でした。
まだ2月だというのに、今日は長野県は暖かかった。春の陽気でした。冬は空気が澄んでいるので、長野県の山が実に美しく見えます。春になると湿度が高くなるので霞がかかったようになって、山々はぼんやりとなってしまいます。今日の風景は早くも春の様相で、山々は煙っていました。でもその中でも、いつも感じるのですが、浅間山は美しかった。浅間山はどこから見ても美しい姿をしていますね。

信越道はすいていました。ほとんど車が走っていないという状態で、快適に走れました。23日のにも書きましたが、八風山トンネルは快適です。上り線のトンネルはジャスト4000メーター。この出口のところにすぐに次の小さいトンネルがあって、そのトンネルを加えると下り線とほぼ同じ4470メーターになるのですね。最新のトンネルは中も明るいし、快適に走れますね。あっという間に通過です。それに比べると中央道の笹子トンネルの3700メーターは、ちょっと怖いですよね。

2004.02.24

『蹴りたい背中』

第30回芥川賞受賞作。綿矢りさ、20歳。
この作品の中で背中を蹴飛ばしてやりたいと思った奴の背中を蹴飛ばした奴を、私は蹴飛ばしてやりたいと思った。ついでにこの賞の審査員たちの背中も蹴飛ばしたくなった。
若い作家が見せる才能は、無限に輝く可能性を見せるのが常である。若くして芥川賞を受けた作家はみな、このような輝くような可能性を見せていた。先輩の作家たちも、この賞の審査員たちも、そして文学を愛好するすべての大衆も、この輝くような可能性に幻惑されてしまうのである。そしてその幻惑の中で感動し、涙を流して喜び、惜しげもなく賞を与えるものなのである。
今回の審査員たちもみな、この作家に背中を蹴飛ばされたのではないか。
もちろん私も思いっきり蹴飛ばされた。
綿矢さん、このおじいさんにはお手柔らかにねがいたいものですね。

『蛇にピアス』

「蛇ピ」というのは「舌ピ」のことで、「舌ピ」というのは舌にはめこむピアスのこと。この作品の話ではそのピアスをだんだんと大きいものにして、最後には舌先を二つにすること(これって二枚舌のことじゃないよね)を目的とする肉体改造の一つの技術。――現代日本語は私には難しくてこういう作品を読むときには「現代日本語辞書」が必要となってきた(涙)。そういえば田中康夫の芥川賞を受けた『なんとなくクリスタル』という作品は「現代日本語辞書」つきでしたよね――。
この作品は一貫して「私」の視点から書かれているが、この「私」が何とかこの世に存在の手がかりを求めようとしてもがくのがテーマ。不思議なことに「私」と同棲しているアマという男性にしても、もうひとりのシバという男性にしても、この作品の中ではその存在感が希薄である。特にアマは「私」の中でイメージされているに過ぎない対象のように見える。このような関係の中で「私」は終始、現代の状況の中で浮遊しているように見える。
「舌ピ」にしても刺青にしても、それらを施すのには痛みを感じるはずであるが、その痛みについてはほとんど触れられていないので、肉体改造に伴う肉体の痛みに存在感を感じるのでもなさそう。しかも刺青が完成してしまうと、それを求めた情熱も消えうせてしまう。「私」の情熱はアマからシバに移ったことを意味しているらしい。
最後にアマがだれかに残虐に殺されてしまったことによって、「私」はシバと生活することになる。シバの店を手伝いながらピアスの袋を整理するところがある。「私はラックにぎゅうぎゅうピアスの袋を押し込んだ。かなり無理やりだったけど、袋はラックに整列した」。この世の中に存在の手がかりを求めて浮遊してきた「私」は、結局は無理やりこの世のシステムの中に押し込まれて、そのなかで自然に整列させられていくのではないか。それを考えると私は不思議な恐怖を感じる。この一行を読んだとき、私の中には整列せずにラックからはみ出して、いくつかのピアスの袋はラックの外にこぼれおちるということをイメージしていた。この作者はこぼれ落ちたピアスの一つだったらしい。これからはラックの中で整列しようというのだろうか。
この作品は全体にキラキラと輝くシャボン玉がたくさんたくさんちりばめられているように見える。シャボン玉は太陽の光にあくまでも美しく輝いているが、はかなく消えてしまう脆弱さをもっている。青春というものはまさにそのようなもの。見事!

アクセスカウンター

「いはらblog」さんに教えてもらって「million counter」をつけました。
いはらblogさんがおっしゃるように、このblog作成ツールには、アクセスカウンターの設置について何も言われていないのは変ですね。Helpのなかをあちこちさまよっているうちに、その迷路の中で迷ってしまいブラウザーを終了させてようやく脱出しました(大げさ!)。

2004.02.23

無事に着きました

ひどい風でしたが、無事にこちらに到着しました。ちょうど3時間のドライブでした。
軽井沢の峠を越えると、こちら側は風はそんなに強くありませんでした。ただし小雪が舞っていました。
昨年の12月に、峠越えのトンネル内の工事が完成して、すべて4車線になりました。それでずいぶんと走りやすくなりました。もっとも長いトンネルは八風山トンネルで、下り線は4470メーターあります。以前は片側一車線だったので、遅い車の後についてとろとろと走らされたものですが、今はすいすいと追い越して一気に通り抜けることが出来ます。
さすがに信州は寒いですね。東京の寒さとは一味違うという感じですね。

今日はお休み

昨日から関東地方は強風が吹き荒れている。今日から水曜日まで長野県のセカンドハウスへ。
強風の中のドライブが守られるように祈る。
今週もまたしなければならない仕事がたくさんある。たいへんです(^^)。

2004.02.20

牧師のお仕事

18日・水曜日には、私がかかわっているある協力会の会計係りとして、K兄弟と会員の整理の作業をした。新宿の「滝沢」に午後6時に集まって1時間半ほどの作業をした。これによって会員を整理して5月の総会に備えることになる。
この予定があったので、午後早めに家を出て、渋谷(正確には神宮前)の「ギャラリーGAN」というところで、黒田克正氏の個展を見る。黒田氏の作品はアクリル絵の具や鉛筆や墨などを使って、無数の線を描いて画面を構成するもの。そうして出来上がる画面はまったく抽象的ではあるが、そこに何かのイメージが固定されていて見るものを魅了する。黒田氏は、紹介のパンフレットによれば、1988年「日本国際美術展(毎日新聞主催)」で大賞を受賞している。いい作品を見たという喜びがあった。この個展は17日の毎日新聞の夕刊の「美術」欄で紹介されていたもの。

19日・木曜日は定期集会。午前中と夜の二回の祈祷会。中国から来ているOさんが、二歳のお子さんを保育園に入れたいというので保育園を探したり市役所に聞いたりしているが、ことばが不十分なのでうまく意思が通じないと言っている。それで市役所に問い合わせて中国語の通訳がいるかどうかを確かめた。ちょうどそこに市の嘱託の中国人がいて通訳をしてくれるということで、Oさんと直接話をすることができた。しかし母親が働いているという事情がないとなかなか保育園では受け入れてもらえそうもない。何とか受け入れられるように祈る。

今日は、朝、歯科医の予約が入っていたので、行ってきた。義歯を入れて一年になるのでメンテナンスの案内が来ていた。噛みあわせをちょっとチェックし、前歯が一箇所傷になっているので、それを修理しようということになった。

2004.02.19

M・L・キング牧師のこと

1月の第三月曜日はアメリカの国民の祝日、マーティン・ルーサー・キングの記念日である。この日を記念してというわけではないが、買ってあった『マーティン=L=キング』(清水書院・人と思想シリーズ・梶原寿著、1991年)という本を読んだ。著者の梶原寿氏はチャーチ-オブ-クライスト派出身の伝道者であり、現在は日本キリスト教団の牧師で名古屋学院大学教授である。この本は著者の信仰者としての立場から書かれており、キング牧師の信仰という面に焦点が当てられ、キング牧師が中心になって指導した公民権運動・アメリカ黒人への人種差別撤廃運動の、キリスト教的、あるいは聖書的立場と思想を分析している。
キングが生まれたのは1929年であるので、私とほぼ同年代である。そしてキングが殺害されたのが1968年、39歳のときである。私がキリスト者になったのはその翌年の1969年であった。私は20歳ころからアメリカ音楽に夢中になっていた。特にモダンジャスを熱心に聴いた。アメリカの音楽特に黒人の音楽を聴くときにいつも、黒人解放運動のニュースも聞こえてきていた。モダンジャズの背景となっている黒人のゴスペルソングなどを聞くとき、必ずといっていいほど黒人解放運動のこと、またキング牧師のことを聞いていた。1963年8月に行なわれたワシントン大行進と、そこで歌われたゴスペルソング。この本で私は黒人解放運動とゴスペルソングとが、密接にかかわりがあったことを改めて確認することができた。ゴスペルソングは、この黒人の歴史なしには語れないものなのだと思う。その同じ年の11月ケネディ大統領が暗殺された。
こういった私と同時代に進行する歴史の大きな事件について、私はキリスト者となった後に、新しい光の下で、すなわち聖書信仰という新しい光の下に学ぶことになった。キング牧師の著書『自由への大いなる歩み』(岩波新書)や説教集などを読んで、私は大きな感銘を受けてきた。今この時代にもう一度改めてキング牧師のことについて書かれた本を読むことができたことは、とてもよかったと思う。キング牧師が語り続けた自由と、救済と、和解と、希望と、これらは今の世界にも語り続けられなければならない大きな課題である。そしてそれはまさに聖書が語るメッセージであることを、この本を通して、またキング牧師の生き方を通して、はっきりと教えられることである。アメリカはこのキング牧師の語った夢を完全に失ってしまって、まったく別の夢を見ているのではないのか。

2004.02.18

Billy Cobham だれかこの人知りませんか

Billy Cobham という人に突然に出会った。出会ったと言っても "Music Much" というソフトで、インターネット・ラジオを聴いていて聞こえてきたものである。この "Music Much" というソフトはずっと以前から使っていたが、終了するたびにグレードアップしろという広告が出てうるさいので、とうとうグレードアップしてしまった。ところが使い慣れていたものが、より複雑な機能に進化しているので、なにがなんだかよくわからないまま、さしあたって "Electronica" というジャンルの放送局を選んで聴いていたら聞こえてきたものである。
私はこの Billy Cobham という人については何も知らなかった。聴いていてびっくりしてしまったのは、派手なドラムソロが連続しているけど、それがフィルターがかけられられていて音色に急激な変化をさせている。さらにそれを何回も重ねて演奏しているらしい。曲名は"Inner Conflict"というもの。
生演奏にさまざまなエフェクターをかけて曲を仕上げるというのはいまや常識ではあるが、このコブハムさんはそれをもっと過激にやってのけている。コンピューター・ベースの音楽作りでは、こういうフィルターの処理は得意中の得意であるが、それを生演奏――あ、ちがうか、スタジオ録音か?――でやっているというのにびっくりしたのである。
この "Music Much" はプレーヤーを指定すると放送局を選んでくれるようになっているらしいが、同じ曲を指定することはできないらしい。どうもいろいろとあちこちめぐっているが、いまいち仕組みがよくわからない。それで同じ曲をもう一度聴こうと思っても、それが出てこないのである。
プレーヤーの詳しい情報は出てくる。それによればこのコブハムさんは太鼓屋さん、すなわちドラマーですな。何に書いてあったか忘れてしまったが、そのテクニックの正確さは他に比べるものがないほどというような記述があったことを覚えている。 "Music Much" のプレーヤー情報によれば、発売されているCDのリストと、収録されている曲のリストも見ることができるが、そのなかにはこの"Inner Conflict"という曲がなかった。
というわけでこの人に興味があったので、先日「タワーレコード」に立ち寄ったときにこの人のCDを見つけて一枚ゲットしてきた。"Billy Cobham Crosswinds" というもの。このアルバムの中の最後の "Crosswind" という曲もすばらしい。

2004.02.17

今日のみことば 新しい人を着た

《あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです》(新約聖書「コロサイ人への手紙」3章9-10節)。
私たちがキリストを信じるとき、神さまの御手の中にあっては私たちとキリストとが結び合わされる。このことについては「ローマ人への手紙」の6章で詳しく述べられている。キリストに結び合わされるとき、古い私たちはキリスト共に死に、キリストと共に新しいいのちに復活する。これによって私たちの古い行ないは脱ぎ捨てられ、新しい人を私たちは着たのです。言い換えれば私たちの肉的な欲望は、すでに捨ててしまったのだというのです。だからいつまでも不品行とか汚れとか情欲など、そういった私たち自身をおとしめてしまうような行為にふけるのではなくて、新しい人を目指して前進するようにと勧めている。この新しい人は造り主のかたちに似ているもの。すなわち神ご自身に似ている、キリスト御自身に似ているものなのである。そして「新しい知識」に至る。私たちをおとしめるような行ないへ向かうのではなくて、イエス・キリストというお方に向かって前進するのです。

2004.02.16

牧師のお仕事

昨日は、主の日の礼拝の後、2004年度の教会総会があった。新年度の行事計画とか予算審議、役員選挙などをいつものように行なった。予定より少し時間をオーバーしたが無事に終わった。感謝、感謝。
夜にはこの地域の教会の協力の働きで、この町の教会が一緒に共通のチラシ・教会案内を作成するという委員会があった。牧師たちや信徒の方々が集まって、どういうものを作るのか、どういうビジョンがあるのかを熱心に話し合った。
すみませんこの記事のタイトルを「牧師の……」に変えました。

イスラエルがEUに加盟??

田中宇氏の報告によれば(http://tanakanews.com/e0210mideast.htm)、イスラエルがEU加盟を模索中とのこと。EU自体のほうでも検討中らしい。
EUと言えばヨーロッパの国々のものと思っていたが、ちょっと地域的にも違うイスラエルを加盟させるということはどういうことなのだろう。イスラエルの方は、いまのところアメリカがイラクの戦後処理と大統領選挙の準備で、中東和平どころではないので、EUの方に接近しようとしているのか。
田中氏の報告によれば、さらにイスラエルとパレスチナが和平を結んで、そのあとで両者が共にEUに加盟するという構想なのだそうだが、そんなことが実現する可能性があるのだろうか。仮に実現するとして、それからはもはやイスラエル・パレスチナの争いではなくて、EU内の内乱となるのではないか。EUもイスラエルとの関係をさらに密にすることによって、混乱に巻き込まれてしまうのではないのか。
アメリカは大統領選挙で、今年は忙殺されてしまうので、何も手を出せないのだろうが、世界中がすべてアメリカのペースで動かされるということが、ますます大きくなるのであろう。しかしアメリカのやり方とは別に、EUのやり方でイスラエル・パレスチナの和平を導いて行くことができれば、これはよいことなのではないか。ただしアメリカがまた、余計な口を出さなければの話だか。

2004.02.14

70歳以上のブロガーを求む

おじいさんになってからblogをはじめようというのは、なかなか大変なものですね。要するに機能のすべてを理解するのが大変。用語がすべてかな文字なので、何のことやら理解するのにすぐにはいかない。
全体的に、いったいこれはどうなってんのという感じ。
しかしHPよりはずっと簡単。HPのほうはやっぱり更新するのに手間がかかるけど、こっちはその場で書き込めるという簡単さは見逃せない。
70歳以上でblogで遊んでいる人は、どのくらいいるのだろう。お互いに情報交換してみたい。

2004.02.12

今日のみことば 神の怒りが下る

《ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。このようなことのために、神の怒りが下るのです》(新約聖書コロサイ人への手紙3章5-6節)
4節ではキリストが再び現われる時があると言われた。その時があるのだからあなた方の行ないに気をつけるようにという勧め。「地上のからだの諸部分」というのは私たちの罪の欲望、それによる悪い欲望のこと。次にそのリストがある。「むさぼりが、そのまま偶像礼拝」だというのはおもしろい表現だが、それは次の「神の怒りが下る」ということとの関連での意識であろう。これらの悪い欲望による行ないのゆえに、神の怒りが下る。すなわちキリストが再び現われるとき、神の怒りに遭いますよという警告。
今の私たちのまわりでは、このような悪い欲望による行ないが、ある意味では賞賛されることがある。映画やテレビ番組、文学作品などでは、このような欲望が主要なテーマとして取り上げられている。そして文学賞などを受ける。こうしてさらにこの社会は悪にはまり込んでいく。犯罪として摘発されるのはまさに氷山の一角でしかない。やがてはこの国に神の怒りが下るであろう。

「NHK杯将棋トーナメント」森内対谷川

8日の日曜日に録画してあった「NHK杯将棋トーナメント」のビデオを見る。森内俊之対谷川浩司戦。相振り4間飛車で見たこともない展開になったが、森内に何かミスがあったか谷川が攻める。かなり不利に見える状況から森内は強引に反発して谷川玉をあと一手まで追い詰めたが及ばず敗退。非常に見ごたえのある一戦であった。

ガザ地区でイスラエル軍が空爆

イスラエル軍は7日午前、パレスチナ自治区ガザ市で、イスラム原理主義組織・イスラム聖戦幹部の乗った乗用車を空爆(毎日新聞)。これに引き続いてイスラエル軍とパレスチナ武装勢力との間で交戦があった。これによってまた「ハマス」活動家の間に14人の死者が出たとのこと。

シャロン首相ガザ地区の入植地撤去を表明

イスラエルのシャロン首相は2日、イスラエル紙ハーレツとのインタビューで、ガザ地区にあるすべてのユダヤ人入植地を撤去する方針を明らかにした(毎日新聞)。これにはなにか意図があるのだろうか。アメリカ主導による和平へのロードマップ実現への配慮なのか。
しかしシャロン首相率いる連立政権の一角を占める国家宗教党の閣僚は、これに反対して政権離脱の可能性をほのめかした。困難は目に見えているがシャロン首相は本気でこれを実現するつもりなのだろうか。

2004.02.11

今日のみことば 上にあるものを求めよ

《さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右に座に着いておられます》(新約聖書コロサイ人への手紙3章1節)。
私たちはキリストを信じたときに、キリストに結び合わされた。それによって霊的にはキリストとともに死に、キリストとともに復活させられた。言い換えれば、キリストとともに死んで、キリストとともに新しいいのちに復活した。だから私たちはこの世に対しては死んだものになった。あるいはこの世の欲望に死んで、欲望からは解放されて、聖霊の力によって新しいいのちに生きるものとなった。だから上にあるものを求めなさいと勧められている。
「上にあるもの」というのは天の御国のこと。神さまの栄光と、そういうものを求めて、そういうものを追求して生きる。言い換えれば、神の栄光のために生きる。私たちの生き方を通して、神が生きておられること、またキリストによって示された神の愛をあかしするものなのである。ここには新しいいのちに生きることへの招きがある。

米タワーレコード倒産

米国のタワーレコードが会社更生手続きをとったそうだ。日本のタワーレコードは資本的には完全独立だそうなので、影響はないらしい。


http://news.msn.co.jp/newsarticle.armx?id=680917

映画「裏窓」

古い映画ですみません。あの有名なヒチコック監督の作品「裏窓」を見ました。DVDです。
終始カメラマン・ジェフのアパートと、そこから見える向かい側のアパートの窓の中、そして中庭という限定された場面で物語りは展開する。アパートで骨折の療養中のジェフは、暇をもてあまして自分の部屋の窓から向かい側の住民の窓の中をのぞくようになった。そしてあるときその一室で殺人が起こったらしいと彼は推理する。そうしてヒチコック独特のサスペンスが作り上げられていく。1954年製作と半世紀前の作品であるので、そのサスペンスの盛り上げ方も、今の作品にくらぺると物足りなさを感じる。気楽に楽しめる作品。ところで、ジェフのアパートの部屋に、日本のたんすが置かれていたのに、この映画をご覧になった方は気がつきましたか?

祝・御開店

吉野家の牛丼がついに「売り切れごめん」となった時代に、このcocologを開店するのも何かの縁か……。

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