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2004.02.24

『蛇にピアス』

「蛇ピ」というのは「舌ピ」のことで、「舌ピ」というのは舌にはめこむピアスのこと。この作品の話ではそのピアスをだんだんと大きいものにして、最後には舌先を二つにすること(これって二枚舌のことじゃないよね)を目的とする肉体改造の一つの技術。――現代日本語は私には難しくてこういう作品を読むときには「現代日本語辞書」が必要となってきた(涙)。そういえば田中康夫の芥川賞を受けた『なんとなくクリスタル』という作品は「現代日本語辞書」つきでしたよね――。
この作品は一貫して「私」の視点から書かれているが、この「私」が何とかこの世に存在の手がかりを求めようとしてもがくのがテーマ。不思議なことに「私」と同棲しているアマという男性にしても、もうひとりのシバという男性にしても、この作品の中ではその存在感が希薄である。特にアマは「私」の中でイメージされているに過ぎない対象のように見える。このような関係の中で「私」は終始、現代の状況の中で浮遊しているように見える。
「舌ピ」にしても刺青にしても、それらを施すのには痛みを感じるはずであるが、その痛みについてはほとんど触れられていないので、肉体改造に伴う肉体の痛みに存在感を感じるのでもなさそう。しかも刺青が完成してしまうと、それを求めた情熱も消えうせてしまう。「私」の情熱はアマからシバに移ったことを意味しているらしい。
最後にアマがだれかに残虐に殺されてしまったことによって、「私」はシバと生活することになる。シバの店を手伝いながらピアスの袋を整理するところがある。「私はラックにぎゅうぎゅうピアスの袋を押し込んだ。かなり無理やりだったけど、袋はラックに整列した」。この世の中に存在の手がかりを求めて浮遊してきた「私」は、結局は無理やりこの世のシステムの中に押し込まれて、そのなかで自然に整列させられていくのではないか。それを考えると私は不思議な恐怖を感じる。この一行を読んだとき、私の中には整列せずにラックからはみ出して、いくつかのピアスの袋はラックの外にこぼれおちるということをイメージしていた。この作者はこぼれ落ちたピアスの一つだったらしい。これからはラックの中で整列しようというのだろうか。
この作品は全体にキラキラと輝くシャボン玉がたくさんたくさんちりばめられているように見える。シャボン玉は太陽の光にあくまでも美しく輝いているが、はかなく消えてしまう脆弱さをもっている。青春というものはまさにそのようなもの。見事!

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