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2004.03.29

覆面パトカー

今日はおやすみです。
長野県のセカンドハウスのほうに来ています。

今日のドライブは快適でした。お天気はすっかり春になって、風景全体がブルーになっていました。
まだ春休みのためか、関越道の高坂SAは混雑していました。家族連れが多かったです。

今日はじめて高速道路上で「覆面パトカー」というのですか、白黒でないパトカーを見ました。私の右側の追い越し車線を、いきおいよく飛んでいった車の後から、サイレンを鳴らして、普通の乗用車のスタイルで屋根の上に赤灯をつけた車が追いかけました。

気をつけないと危ないですね。
では皆さん安全運転を……。

2004.03.25

争いではなくて神の愛に生きる

 人間はなぜ争うのだろうか。この問いは世界中の良識をもつ者たちにとって、繰り返されてきた問いである。人間の歴史というのは、すべてが争いの歴史、戦争の歴史である。このことは歴史の中で繰り返し問われ、何らかの答えが見出されてきたのではあるが、それによって解決の努力がなされてきたとは思われない。広島平和宣言(平成15年)の中で広島市長秋葉忠利氏は、「私たちは『暗闇を消せるのは、暗闇ではなく光だ』という真実を見つめ直さなくてはなりません」と述べている。テロに対してはさらにそれを上回る武力によって制圧すべきだという考えはほんとうに解決を与えるものだろうか。

 聖書によれば、人間は神さまによって創造されたもので、神のことばに聞き従うことが人間としての本来のあり方だと述べている。そして最初の人たちが、神のことばに聞き従うことに失敗したときに、人間の中に大きな変化が起こったと述べている。それは最初の人たちが神の御手の中にあって互いに愛し合う関係にあったものが、互いに人を支配しようとする関係に変わったからだと述べている(創世記3章16節)。

 H・E・テートというハイデルベルク大学社会倫理学教授(当時)は、岩波書店から出ている『現代文明の危機と時代の精神』(1984年)という論文集に「現代世界の危機における人間性のための闘い――神学的考察」という論文を寄せている。その最後の部分で彼は次のように述べている。「すなわち、人間性は、人間にたいする神の呼びかけから成立するということである」(p.263)。この論文の中でテートは、一貫して神のことば、すなわち聖書のことばに耳を傾けなければならないことを語っている。

 聖書は神のことばに聞き従い、互いに愛し合い、互いに他者のための存在として生きるのが、人間本来のあり方だと語る。力によって他者を支配するのではなくて、和解と、愛の関係に生きることこそ、真実な生き方と、力ある生き方を人に与えるものではないか。このことを真剣に考えなければならない。

ヤシン氏殺害関連

 イスラエルのシャローム外相は24日、国連本部でアナン事務総長と会談して、ハマスのヤシン氏殺害について「ヤシン氏がいなくなって世界はより安全になった」と述べたとのこと。この予言は成就するだろうか。

 国連安保理で23日に行なわれた公開討論で、多くの国がイスラエルのヤシン氏殺害を非難したことに対して、シャローム外相は「国際社会から非難されるような問題ではない」というようなことを言ったとのこと。アメリカがテロに対して国際社会に協力を求めたのだから、同じように協力すべきだとの見解を示したとのこと。
 なるほど理屈は通っております。

 互いに武力によって相手を押しつぶすのではなくて、何とかして対話ができるように願うものである。

イエス・キリストの十字架物語 4

 イスカリオテ・ユダの裏切りの記事に続いて、聖書は、いわゆる「最後の晩餐」の記事が続きます。
 「過越しの食事」というのはユダヤ人の三大祭の中でも最も重要な祭りです。この祭りは旧約聖書の「出エジプト記」という書物の中に書かれています。イスラエルの民はBC1400年ころまで、450年くらいの期間、エジプトに寄留していました。そのとき彼らはエジプトの国の中で奴隷のような扱いを受けていました。モーセという偉大な指導者が現われて、イスラエルの民をエジプトから脱出させるという大事業が行なわれました。
 このときエジプトの王パロは、イスラエルを解放することを拒否しました。そのような中で神さまはエジプトに十の災いを下して、エジプト全体を恐怖に陥れて、イスラエルの民を解放させます。紅海の水が割れて乾いた海面が現われたところをイスラエルの民が渡るという有名な奇跡が起こるのもこのときです。
 この十の災いの最後の災害は、エジプト中のすべての家の長子が神のみ手によっていのちを奪われるというものでした。イスラエルの民には神さまから指示がありました。それは一つの家ごとに子羊一頭をほふって、その子羊が流した血を家の入り口の柱に塗っておくというものです。神さまから遣わされた死の使いは、この子羊の血を目印にして長子の死という災いを過ぎ越させるというものでした。
 イスラエルはこのことを記念して、過越しの祭りというものを行なうように神さまから命じられてきました。この祭りには家ごとに子羊をほふり、家族がそろって食事をするというのがその儀式です。イエスさまは弟子たちといっしょにこの過越しの食事をなさったのです。

26:17 さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」
26:18 イエスは言われた。「都にはいって、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう。」と言っておられる。』と言いなさい。」
26:19 そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。
(聖書の引用は『新改訳聖書』からです)

2004.03.24

イスラエル、ハマスの指導者を殺害

イスラエルは3月22日未明、ガザ地区でパレスチナの過激派ハマスの指導者ヤシン氏を殺害した。これは以前から狙っていたもので、ついにやったという感じ。イスラエルは続発するパレスチナ人によるテロの指導者ヤシン氏を殺害すれば、テロはやむと考えているのだろうか。おそらく武力による更なる衝突は避けられなくなったのではないか。
イスラエルはヤシン氏だけでなくハマスの幹部全員の殺害を準備していると発表した。

国連安保理は23日、イスラエルのヤシン氏殺害を受けて、緊急公開討論を行なった。約40カ国の代表が演説を行なってヤシン氏殺害は正当化できないと述べた。しかし正式声明や何らかの決議文の採択は米国の反対で見送られた。

イスラエルはレバノン南部にあるパレスチナ人の基地を空爆した。パレスチナ人基地からイスラエルへ向けてロケット弾が打ち込まれたことに対する報復らしい。

ハマスはヤシン氏の後継者として、強硬派のランティシ氏を任命した。

2004.03.18

イエス・キリストの十字架物語 3

 イスカリオテ・ユダ、イエスを売る
 この記事の前に「イエスさまの頭に一人の婦人が香油を注ぐ」という出来事が記録されています。簡単に言うと、その出来事はこういうものです。
 イエスさまが弟子たちといっしょに、あるとき食事をしていると、そこに一人の婦人が入ってきて、持ってきた石膏のつぼから香油を、イエスさまの頭に注いだのです。そこに居た人々はびっくりしました。弟子たちはみんな「なんてもったいないことをするのだ」と言って、この婦人を非難しました。一説によると、この香油の金額は300万円もするものだったということです。
 香油というのは文字通りに良いにおいのする油です。いわば香水ですね。いろんなことに使われました。化粧品はもちろん、傷薬や、宗教的儀式にも使われました。とくに死んだ人の遺体に塗って埋葬するなどということにも使われました。イエスさまはこの婦人がみんなから非難されるのを見て、この婦人が《この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです》と言われました。
 このような出来事の記録に続いて、イスカリオテ・ユダの裏切りの記事があります。

26:14 そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、
26:15 こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
26:16 そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。

 このイスカリオテ地方の出身のユダという人は、十二弟子の一人でした。この人がなぜイエスさまを裏切るような行為に出たのかは、全く謎です。このことについてはいろいろと議論がなされています。金銭的な欲望であるかもしれない。名誉欲であるかもしれない。あるいは政治的な動機からなのかもしれない。あるいは単に個人的な不満が爆発したのか、ねたみか、怒りか、そういったものかもしれない。さらにはイエスは神の御子であるのに、なぜ裏切るようなユダを弟子の一人に選んだのかという疑問もあります。
 その理由は不明であるとしても、マタイさんはその裏切りの行為のみを記録しています。彼は祭司長たちのところに行って、《彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか》と値段の交渉をしています。その結果彼は銀貨三十枚を手に入れたのです。
 このユダの裏切りの申し出によって、祭司長たちのほうの計画は急遽変更されるようになったらしい。過越の祭りの間は民衆の暴動が怖いので、祭りの後にと彼らは考えていたようですが、結局はその計画は変更されることになる。

2004.03.16

オートバックス八王子

自分日記」さんに書いてあったのですが、オートバックス八王子中央店は北野駅前の新店舗に合併になったのですね。改装するのかと思っていましたが、ものものしい足場の組み方から見ると、これは単なる改装ではなくて、立替かなと思って見ていました。
そういえばなんか案内が来ていたなと思って、屑箱をごそごそかき回して見つけました。「八王子中央・八王子めじろ台が進化して、スーパーオートバックス八王子に生まれ変わります」という案内でした。ちょっと北野まで行くのは億劫ですね。おじいさんになったものですからね。

将棋NHK杯戦・準決勝

 今週のNHK杯将棋トーナメントの谷川浩司王位と久保利明八段の一戦は、たいへん面白かった。混戦、乱戦、最後までどちらが勝つかまったく不明の一戦だった。
 相振り飛車で始まった戦いは、序盤ですでに先手の久保八段が劣勢に陥ったと解説の淡路仁茂九段が言っていたが、そこから久保八段の巧妙な攻めがあって、久保がやや優勢になった。互いに端攻めを交えての玉頭攻めで乱戦模様となる。
 谷川王位が一瞬の隙を突いて久保八段の飛車を取ったあたりでは、完全に逆転と言われていた。谷川は玉頭から執拗に攻め立てるが、久保の粘りは実に見事。その間に詰みがあったのではないかと思われたが、谷川は攻めを誤ったか、苦戦に立たされる。
 しかし久保の粘りと執拗な攻めは、まったく気を許さず、玉が敵陣に入り込んで難を逃れ、さらに5五に打った香が最後の最後まで谷川を苦しめて、ついに久保八段の勝利に終わった。

 長手数になったので、時間オーバーになったのか、小刻みに編集の手が加えられていた。実に見ごたえのある一戦だった。将棋も面白かったが、NHKの編集の手際の良さにも感心した。気づかずに見ていればわからないほどであったが、最後のほうでは秒読みがいきなり20秒から始まっていたので、こちらも手に汗握る展開であった。

 これで久保八段は羽生名人との決勝戦に進出することになった。

2004.03.15

イエス・キリストの十字架物語 2

 イエスさまは自ら十字架の予告をなさいました。それに続いて祭司長、長老たちの動きが記されます。

26:3 そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、
26:4 イエスをだまして捕え、殺そうと相談した。
26:5 しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」と話していた。

 祭司というのは神殿の礼拝のために集まってくる人々の世話をしたり、宗教儀式を行なう役目の人たちです。長老というのはいわば政治的な責任を持つ人たちです。ですから宗教的な権威と、政治的な権威の人たちということになります。
 当時の宗教的権威の最高の人物すなわち「大祭司」はカヤパという人でした。大祭司カヤパの家の庭で集まったこの会議は、たぶんユダヤ人の最高議会というものだったと思われます。当時のユダヤの国はローマ帝国の支配下にありました。ローマ帝国はユダヤ人の宗教に関しては口を挟みませんでした。そのかわり治安に関しては厳しく取り締まって、ユダヤの国を押さえつけていました。
 ユダヤ人の最高議会が緊急に招集されてナザレのイエスをどう処分しようかという相談がなされました。結論はすでに決まっていました。それはイエスをたまして捕らえ殺害することでした。
 イエスさまはユダヤの国の北のほうにあるガリラヤ地方で、宣教の働きを始めました。イエスさまは神の国についての説教を語り、たくさんの奇蹟を行ないましたので、当時のユダヤ人の一般大衆には熱狂的に、この人こそ神から遣わされたメシヤであるとして迎え入れられました。ユダヤ人の最高議会の人たちからは、その説教が独特のものだったので、神を冒涜していると受け取られていました。また大衆が熱狂的になっていくに従って、彼らは治安に不安を覚え始めました。そしてイエスさまと弟子たちの一行が過越の祭りを目指してエルサレムに上ってくるに及んで、彼らの不安はますます大きくなっていたのです。こうなってはイエスさまを捕らえて殺してしまう以外にはないと、彼らは考えたのです。
 しかしこの過越の祭りの間は、たくさんの人々が礼拝のために神殿に集まってきていますし、大衆の多くはイエスさまを支持していましたので、へたに手を出すと暴動が起こるかもしれないと、彼らは警戒しました。

2004.03.13

「会話体主義」への懸念

3月10日の毎日新聞の夕刊に、大江健三郎の講演会の報告が載っていた。その見出しはこういうものです(この記事は佐藤由紀記者の署名入り記事です)。

「会話体主義」に強い懸念――論理性の欠如が招く政治や文化の衰退

 大江氏は現代の日本文化が、「会話体による表現に支配され、書き言葉の比重が質量ともに落ちている」と言う。そして「会話体とは、合意の気分にもとづく文体であり、しっかりした証拠をもとにした反論を伴わない」と批判していました。

 日本人はどうも論理を組み立てて自分の意思をはっきりと述べることが不得手なように思う。大江氏も政治の世界でも同じだと言っている。たしかに国会中継などを聞いていても、相手が言うことに対してまじめに、正面から取り組んで論理を展開するという本当の意味での議論がなされていないように見える。小泉首相などは、単なる思い付きとも取れるような一言で、相手の言うことをはぐらかすような答えしかしない。
 このような現象はおそらく、小学生のころからきちんと論理的な思考の訓練がされていないからなのではないか。
 
 大江氏はこのような現実を食い止めるためには「仲間内の調和を保つことだけが目的であるような会話体主義のムードを崩し、理性的な議論を復活させることが必要だ」と述べている。

 大江健三郎の作品は非常に難しい表現なので、一般の読者にはとても取り付きにくいのではないかと思う。しかしその文章は、私には論的な明晰さを感じられるし、その文章を読んで自分のうちに展開される確かなイメージのすごさに、私は魅力を感じている。ただその文章に秘められた思想を理解し自分なりに消化するのは、とても難しいと思う。

2004.03.12

イエス・キリストの十字架物語 1

 毎年、春になるとキリスト教会では復活祭の季節になります。「復活祭」というのは英語では"Easter"と言って、イエス・キリストの復活を記念するお祭りです。新約聖書には四つの「福音書」と呼ばれる書物があって、イエス・キリストの生涯の出来事が記録されています。そのどれもが最後はキリストの十字架と復活の出来事を記録しています。
 今年の復活の日は4月11日です。この日のことを思いながら、マタイという弟子が書いたイエスさまの十字架と復活のできごとを紹介したいと思います。マタイさんが書いている記事によれば、イエスさまは弟子たちといっしょに過ぎ越しの祭りを祝うためにエルサレムにやってきます。マタイの福音書の24章と25章には、この世の終わりのことに関するイエスさまの説教と、その終末を迎えるための心備えについての説教が記録されています。それらの説教は多分エルサレムとその周辺でなされたものと思われます。それに続いて26章から十字架物語が始まります。

26:1 イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。
26:2 「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
(聖書は日本聖書刊行会の『新改訳聖書』を使っています。文章の頭に数字のあるのが聖書本文です)

 「これらの話」というのは、その終末に関する長い説教のことです。
 2節に書かれているイエスさまのことばは、十字架の予告です。このようなことばは以前にもイエスさまは弟子たちに言われました。しかしここでは弟子たちの反応は何も書かれていませんので、弟子たちはこのイエスさまのことばに何も危機的なものを感じていなかったのでしょう。
 過越の祭りというのはユダヤ人の三大祭の中でももっとも大切なものです。エジプト脱出の出来事に由来する祭りです。この祭りにはユダヤ人たちはエルサレムの神殿に、神さまを礼拝するために集まってきます。

2004.03.11

メーカー保証期間への疑問

私はMIDI機器とコンピュータをつなぐのに、YAMAHAの"UW500"というインターフェースを使っています。これは昨年5月に買ったものですが、不具合があって修理に出しました。不具合というのは、CDプレーヤーなどから入力するINPUT端子からの音が出力されないというものでした。これを私はMIDI音源からの音の入力に使っていました。

最初に買ってきて説明書のとおりに接続したのですが、たぶん音が出なかったのではないかと思います。その辺のことは記憶があいまいになっていますので、はっきりしないのですが、それで私はもうひとつのAUX入力のほうにつないで使っていました。どちらも入力には違いはないと思っていたのです。ところがシーケンサー・ソフトのほうでいくつかのトラックをミックスダウンしようとしたら、できなかったのです。マニュアルをひっくり返してもよくわかりませんでした。問題がシーケンサーの使い方にあるのだと思っていたのです。とうとうわからなくてサポートに電話して問い合わせてみると、音源からの入力がAUXではなくてINPUTでなければコンピュータ内に録音できない、言い換えれば音源からの音を取り込むことができないということがわかりました。AUXからの音はそのまま出力されるのだそうです。

ところがINPUTにつなぐと音がでないということに気がつきました。前記のようにどうも最初からここに不具合があったらしいのです。またまたサポートに問い合わせてみると、入力切替というスイッチがあるので、それをMONOにしてみるようにと言われて、そのようにすると音は出力されました。そして入力切替スイッチをSTEREOに戻すと音が出ましたので、これで問題が解決したと思いました。ところが次にコンピュータを立ち上げてシーケンサーソフトを立ち上げると、またまた音が出ないのです。不思議なことに入力切替スイッチをMONOにしてそれからSTEREOに戻すと、音が出るのです。それでまたまたサポートに電話を入れて相談しましたが、結局、原因は不明で修理に出すようにということになりました。

先週、その修理があがってきたのですが、私は一つの疑問に出会いました。今回は保証期間がまだ有効でした。一年の保証ですからあと二ヶ月くらい残っていました。しかし最近のこの種の機器は、機能がきわめて多様化していて複雑になっているので、こちらの使い方に問題があるのか、あるいは機器の側に問題があるのかを見極めるまでにかなりの時間がかかるということです。私は前後三回サポートに電話を入れて相談したのですが、それでも原因がはっきりするまでに二ヶ月ほどかかっています。

私たちアマチュアは一日中このような機器を使っているわけではないし、問題を発見するまでに時間がかかるものです。また機能が多様化していますので、最初からすべての機能を使っているわけではなく、買ってからしばらくしてこちらの機能を使おうとしたら不具合があったというのは、起こりうることではないだろうか。サポートに電話を入れても夜はやっていないし、昼間仕事の合間をみて電話しても、すぐにその指示通りに対応できない場合もたびたびでした。そうこうしているうちに一年間という保証期間はどんどん過ぎていってしまうものです。

今回、お店のほうでは、もしそういうことがあったら、言ってくだされば相談に乗りますということでした。メーカーのほうでも、このように多様化した機能を持っている機器については、保証期間をもっと長くとっていただければありがたいと思ったのです。

新曲発表

私は趣味で音楽を作っています。すでに私のHPで聴いてくださった方もたくさんあるようです。わざわざお出でくださった方々に感謝します。
最近も作ってはいるのですが、なかなか満足できるものができなくて悩んでいました。でも不十分なものですが思い切って公表することにしました。 というものです。まあ聴いてやってください。
古い曲は私のホームページのほうからどうぞ。

ファイルはMP3になっていますので、聴くのにはMP3をプレイできるソフトが必要です。コンピュータ内臓のスピーカーでなくて、できればしっかりした再生装置で聴いてほしいです。なければせめてヘッドホンで聴いてください。

この曲は"Cubase"というシーケンサー・ソフトで作りました。このすばらしいソフトを、ようやく使えるようになりました。

2004.03.10

超多忙

その上に先週から風邪気味で体調悪し。
おまけに「ホームページビルダー」というソフトがおかしくなってしまって、この際、新しいほうのコンピュータにインストールしようと取り組んだが、結局うまくいかず、今日はあきらめて寝ることにする。

では、では……

2004.03.04

カテゴリーがリンクされました

カテゴリーがリンクされないということを前に質問しました。あちこちと調べてわかりました。
「ウェブログ」の中の「管理」の中の「バックナンバーの設定」のところで、「カテゴリー別」というところにチェックを入れるのですね。
これでつながりましたが、なんかつながらないものもあるみたいですね。

親切にいろいろとコメントしてくださった方々、ありがとうございました。

2004.03.03

将棋NHK杯戦・準々決勝

久保八段と森下九段の一戦を見た。
久保の振り飛車、森下の居飛車という予想どおりの対戦になった。中盤は微妙な駆け引きがあって見ごたえがあった。その微妙な駆け引きを久保がうまく乗り切って優勢になったところに、森下が飛車を切って仕掛ける。そこから森下の細かい攻めがあって、森下の勝利かと思えたが、久保が一瞬の隙をついて仕掛けて勝利した。
解説は島八段だったが、この人の解説は実に理論的で詳細でとてもわかりやすい。
最初から終わりまで、まさに一手の差を争うという微妙な戦いだったが、ほんとうに見ごたえのある一戦だった。

互いに赦し合うこと

 《それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい》(コロサイ人への手紙3章12-13節)。
 ここには新しくされた人の徳と言われるもののリストがある。「深い同情心、慈愛……」などである。私たちはみな自己中心な者である。聖書ではそのような私たちの状態を「罪」の状態と言う。しかしここにあげられているリストはどれも、他者に向かうものである。このように自己中心の存在である私たちが、ほかの人に向かって行く徳を身に着けるためには、私たち自身が何らかの満たしを得ていなければならない。それが最初に述べられているように、「あなたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者」なのだよという語りかけによって、私たちは満たされるのである。この神による高い評価は、私たちに生きる自信を与えるのではないか。
 いまの世界では人の価値を貶めることが横行しており、そのなかで人々は自分の無価値さに苦しめられている。そのような中で、神を信じるものに神は「あなたは選ばれている者、聖なる、愛されている者」なのだよと語ってくださることは、私たちにとっては大きな励ましなのではないか。
 このようにして私たちは自分の存在の根拠に確実な価値を確信するとき、他者に対して深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容をもって新しい人間関係を築くことができるのである。「ほかの人に不満を抱くようなことがあっても、互いに赦しあう」。この手紙が書かれた第一世紀にも、互いに赦し合うことは、社会を築き上げるための大きな力であったと思う。神がひとり子イエスを私たちに送ってくださり、このお方が私たちの身代わりとなって十字架でご自身の命をささげてくださった。それによって私たちと神との関係に和解の関係が成立した。それと同じように互いに赦しあうように勧められている。憎しみは破壊につながる。しかし互いに赦しあうという和解の働きは、この社会を築き上げる力である

固定リンクの謎

なんか変でしたかね
こんどはうまくいきそうですかね。

これで固定リンクのなぞは解けました。

こんな具合ですか。


2004.03.02

Billy Cobham 手に入れました

和尚さんに教えてもらって、amazon.comに行ってみましたら、"Inner Conflicts"というアルバムCDがありました。早速、注文してこの日曜日に手元に届きました。私は「楽天」には行ったことがありましたが、「アマゾン」は初めてでした。大きなお店ですねぇ。
コブハムの"Inner Conflicts"を聴きました。すごいテクニックの持ち主ですね。この曲ではシンセサイザーまで演奏しています。ドラムという楽器はリズム担当の楽器でしたが、この人にかかっては、曲の主役になっていますね。びっくりしました。

あわれな老人ブロガーのために

教えてください。
「固定リンク」というのは何ですか。これは何をするものですか。そしてどのように利用するものですか。
もう一つあります。右側の欄外に出てくる「カテゴリー」というのを、記事の「カテゴリー」とリンクさせるのはどうやるのですか。

「ウェブログ」というのは、何にも知らない人でも作ることができる道具だということはよくわかっているのですが!(^^)!

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