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2004.03.13

「会話体主義」への懸念

3月10日の毎日新聞の夕刊に、大江健三郎の講演会の報告が載っていた。その見出しはこういうものです(この記事は佐藤由紀記者の署名入り記事です)。

「会話体主義」に強い懸念――論理性の欠如が招く政治や文化の衰退

 大江氏は現代の日本文化が、「会話体による表現に支配され、書き言葉の比重が質量ともに落ちている」と言う。そして「会話体とは、合意の気分にもとづく文体であり、しっかりした証拠をもとにした反論を伴わない」と批判していました。

 日本人はどうも論理を組み立てて自分の意思をはっきりと述べることが不得手なように思う。大江氏も政治の世界でも同じだと言っている。たしかに国会中継などを聞いていても、相手が言うことに対してまじめに、正面から取り組んで論理を展開するという本当の意味での議論がなされていないように見える。小泉首相などは、単なる思い付きとも取れるような一言で、相手の言うことをはぐらかすような答えしかしない。
 このような現象はおそらく、小学生のころからきちんと論理的な思考の訓練がされていないからなのではないか。
 
 大江氏はこのような現実を食い止めるためには「仲間内の調和を保つことだけが目的であるような会話体主義のムードを崩し、理性的な議論を復活させることが必要だ」と述べている。

 大江健三郎の作品は非常に難しい表現なので、一般の読者にはとても取り付きにくいのではないかと思う。しかしその文章は、私には論的な明晰さを感じられるし、その文章を読んで自分のうちに展開される確かなイメージのすごさに、私は魅力を感じている。ただその文章に秘められた思想を理解し自分なりに消化するのは、とても難しいと思う。

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Comments

行政組織が発行する文書の中にも、定義されていない用語が使われています。
文書体主義とでもいうのでしょうか?
ちなみに、私は4歳の息子を論理的な人間にしようと、あらゆる機会を捕らえて努力してます。

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