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2004.04.24

イエス・キリストの十字架物語 8

 36節から46節までは、「ゲツセマネの園での祈り」と呼ばれていて、十字架物語の中でも、非常に印象的な場面です。ゲツセマネというところは、いまでもオリーブの木がたくさんある美しい庭園です。いまでもこの所はイエスさまが最後の祈りをささげた場所として保存されているのです。この近くには全世界から集められた献金で建てられたという「万国民の教会」という名の、立派な教会堂があります。この教会は別名「苦悶の会堂」(Basilica of Agony)と言われます。それはイエスさまの苦悶の祈りから名づけられたのです。

 1. イエスの悲しみの祈り
26:36 それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」
26:37 それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
26:38 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
(聖書の引用は『新改訳聖書』からです)

 イエスさまは、弟子たちの中からペテロと、ゼベダイの子ふたりをいっしょに連れて、園の奥に入られます。ゼベダイの子の二人というのは、ヨハネとヤコブのこと。この三人は弟子たちの中でも中心的な存在であったのでしょう。

 「イエスは悲しみもだえ始められた」とあります。この悲しみもだえは、①ここまでのイエスさまの働きが公には受け入れられなかったことの悲しみ。②人々のたましいが救いと遠く離れていることへの悲しみ。③ご自身がこれから歩まなければならない苦しみの道を思う悲しみともだえ、などを表わしているようです。
 神の御子であるのに、なぜ悲しみもだえるのかという疑問があります。ここではイエス・キリストが神であると同時に人でもあるという、その人としての有様が現われていると考えられます。

 その悲しみともだえの中から、イエスさまは弟子たちに「わたしといっしょに目をさましていなさい」と言われます。しかし続きを読んでいくとわかりますように、弟子たちは目を覚ましていることができなかったのです。それはすでにこのとき真夜中だったからです。

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