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2004.04.14

イエス・キリストの十字架物語 6

 過越しの食事という儀式の中心は次のところです。

26:26 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
26:27 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
26:28 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
26:29 ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
(聖書の引用は『新改訳聖書』からです)

 「聖餐式」というのはプロテスタント・キリスト教会が行なっている礼拝儀式の一つです。「聖餐式」は過越しの食事という儀式が原型になっています。この福音書の著者マタイさんが書いたものには、「以後、これを行なえ」という指示はありません。しかし最初のクリスチャンたちは、ここでも言われているように新しい「契約の血」という理解で、パンと「杯」すなわちぶどう酒を分け合うという儀式を取り入れたものと思われます。この理解には学問的に非常に複雑・多様な解釈があります。

 いずれにしてもこの著者のマタイさんは、この過越しの食事の席に、実際に同席していたと考えられます。そしてイエスさまが言われたことなどを記録していると考えられます。マタイさんが記録していることは、パンがイエスさまのからだをあらわすもので、「杯」すなわちぶどう酒は、イエスさまの血を表すということです。
 この「血」はイエスさまが流される血であり、それは「罪を赦すために多くの人のために流されるもの」だという意味づけです。「契約」という意識は、聖書の中に最初から一貫して存在しています。それは神さまと人間との間の契約です。人は神のことばを信じ聞き従う、神は全知、全能の御手によって人を守り、愛するという契約です。

 この契約を確かに守り行いますという意志を表すのが、旧約聖書では動物のいけにえであり、そのいけにえの血です。新約聖書では、イエス・キリストのいけにえであり、イエスさまが流された血です。そしてキリスト者は、このイエス・キリストの契約を信じ、自分自身を神にささげるということで、神との契約の関係に入ります。
 動物のいけにえから、信仰者の個人的な信仰という意志と決断へと、儀式の形態が変わったということになります。それゆえに「新しい契約」と言われているのです。最後の「父の御国で新しく飲む日まで」というのは、新約聖書が一貫して述べているイエス・キリストの再臨と、この世の終末と、新しい天と地を意味しています。

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