« May 2004 | Main | July 2004 »

2004.06.29

イラク主権移譲

イラクに主権移譲 妨害避け2日前倒し

きのう長野県のセカンドハウスに、しばらくぶりに来た。
このニュースは途中の関越道高坂SAのテレビで見た。
最初にこのニュースを見たとき、このところ続いてきたイラク側からの攻撃に耐えかねて、アメリカは退却したのかと思った。しかし本意はそうかもしれない。
まことに今回は素早い対応ですね。

そういえば「退却」などということばが最近では、あまり使われなくなったような気がするが……。
私が若いころにはずいぶん使われたものだ。「名誉の退却」とかなんとかと言って。
悲しい思い出ではある。


2004.06.26

高速道路上の落下物

@nifty:NEWS@nifty:三菱製欠陥車、10年前の事故で休業補償を請求(読売新聞)

 この記事で思い出したのだが、10年以上も前のこと、千葉県の四日市まで用事があっての帰り道、千葉北インターから高速道路に入って宮野木ジャンクション向かって走ってた。
  宮野木ジャンクションの手前で「湾岸道路はどっちだ。右か左か」と迷っていると、突然、前の乗用車が異常な走りを見せたので、何事かと思っていると、突然に目の前にデフレンシャルギアー・ボックス様のものが路上に落ちているではないか。
 私の車はトレノだったので「うわー、この車は車高が低いんだぞー」と叫んでハンドルを切る間もなく、その落下物にドカンと乗り上げてしまった。タイヤを直接ぶつけることなく交わしたが、床のどこかにぶつかったらしい、かなりの衝撃であった。
 特に異常がなかったのでそのまま走り続けて、結局は湾岸道路に入りそこなって、渋滞の中、京葉道路をトコトコ帰ってきた記憶がある。
 こういう場合には何か届け出たほうが良かったのですかねぇ。

2004.06.25

現代に預言者を期待する

 旧約聖書、Ⅱ歴代誌の18章を読む。
 南ユダ王国のヨシャパテ王が、北イスラエル王国のアハブ王を表敬訪問したときの話。それまでは王国が南北に分裂して以来、南王国は北王国をほうっておくわけにも行かず、何度か戦いを仕掛けて、王国を取り戻そうとした。しかしこのヨシャパテ王さまは何を考えたのか、友好関係を持とうとしたらしい。
 というのも自分の父王のアサ王さまが、アラムと手を結んで北イスラエルを攻めようとしたにもかかわらず、アラムのベン・ハダデ王にうまいことごまかされて、むしろイスラエルにも危険が及ぶようになったからなのか。アサ王さまの時代にはベン・ハダデ王への多額の貢物が功を奏してか、アラムは北イスラエルの北部を攻めて、その威力を示したのではあるが。
 ヨシャパテという人は、このような政治的取引があったことを知ってか知らずか、のんきに北イスラエルのアハブ王を訪問する、このときイスラエルの王アハブはたくさんのいけにえの動物をほふって、盛大に儀式を演出してユダの王ヨシャパテを迎える。きわめて宗教的に熱心で忠実であったヨシャパテにとっては、この盛大な歓迎は喜ばしく見えたに違いない。
 ご機嫌になったヨシャパテの様子を見ながら、アハブはラモテ・ギルアデの闘いにいっしょに行ってくれと提案する。ラモテ・ギルアデというのは、もともとはイスラエル部族のものであったが、おそらく前回のアラム・イスラエル戦争のときに、アラムに占領されてしまっていたのではなかろうか。アハブはそれをなんとか取り戻そうと考えたのにちがいない。そしていまここでユダ部族の協力が得られれば、それも可能になるのではないかと計算したのではないか。
 ヨシャパテは、きわめて宗教的に熱心な王であった。現代のどこかの国の指導者も、歴史上最も宗教的な指導者と言われているらしいが、その指導者とは違ってヨシャパテは、闘いに行くのはいいけれども、主のみこころを伺ってからにしようじゃないかと提案する。
 アハブ王は自分の配下の、自分に都合のいいことを言う預言者たちを400人も招集して預言させた。これだけたくさんの預言者を配下においているという、その権力の偉大さをヨシャパテに見せ付けようとしたのではないか。。当時の預言者たちは、大勢で恍惚状態になって、あるいは自分の身を傷つけるようなことまでして、これが神の御心であると、熱狂的に預言するというのが普通であった。ここでもおそらくそのような大騒ぎが展開されたのであろう。彼らは「イラク攻撃は――いや間違い――ラモテ・ギルアデ攻撃は、主のみこころであり、必ず成功する」とかなんとか預言したに違いない。
 宗教的なヨシャパテ王さまは、どうもその預言が気に入らなかったらしい。彼の直感では、彼らの預言がどうも偽ものくさく見えたのではないか。それでアハブ王さまに、「ほかに、本当に主のみこころを語ってくれる預言者はいないのか」と聞く。この質問にはアハブは、ぐっと来たのではないか。「なんちゅう失礼なことを言うのか」と心の中では思ったのではないか。
 そこで「もうひとりいるにはいるが、この男は、私の都合の悪いことばかり預言します。ですから私はこの男を大変憎んでいます」と言った。ヨシャパテは、それを聞いて「そんなことを言わずに、その男の言うことを聞いてみたいものだね」といいます。そこでアハブは仕方なく、ラモテ・ギルアデ戦争を何とかしなければという差し迫った問題もあって、とにかくこの男ミカヤを呼べと、しもべたちに命じた。
 しもべたちがミカヤを呼びに言っている間にも、預言者集団の騒々しい預言の踊りが展開されていた。その中でリーダー格のゼデキヤという預言者が、全体を代表するようにして、「ラモテ・ギルアデ戦は必ず勝利に終わるから、すぐにも攻め上れ」と繰り返し預言する。
 一方、ミカヤのところに行った使いのものは、「みんなは王さまの機嫌を損なわないように、王さまの計画に賛成する預言をしているのですから、あなたもうまいことやって」とかなんとか説得します。しかしミカヤは毅然として「主は生きておられる。主が語る以外のことは語らない」と宣言します。
 こうして二人の王さまの前に引き出された預言者ミカヤは、最初こう言う。「ラモテ・ギルアデ攻撃は成功する」と。ところがアハブは、このミカヤの言うことに疑問を感じたらしい。「そんなにやりたきゃ、どうぞご勝手に」というような、いい加減さを感じたらしい。そこで王さまの権威をもって、何度言ったら、主の名によって真実を告げるのか」といきなり怒鳴りつけた。すかさずミカヤは、「イスラエルの軍は、指導者を失った羊の群れのように、ちりぢりばらばらになる」と叫んだ。
 アハブはヨシャパテに、「ごらんのとおりだ。ろくなことを言いはせんわ」と嘆いて見せた。ミカヤはこんどは鋭く「ここにいる偽預言者みんなには、偽りを語る霊が送られていて、その偽りの霊によって語っているのだ」と叫んだ。
それを聞いたゼデキヤはたちまちかっとなって、王さまの前であることも忘れて、ミカヤに近づくとミカヤを殴りつけた。ミカヤは「いまにお前は、間違った預言をしたことによって、その恥ずかしさで奥の間に隠れるようになるぞ」と言った。
 アハブ王は即座に部下に命じて、ミカヤを逮捕させた。そして「私が無事に帰ってくるまで、わずかのパンと、わずかの水をあてがっておけばいい」と言った。これに対してミカヤはアハブ王をにらみつけて「万が一、あなたがここに無事に戻ってくるようなことにでもなれば、それは私が主によって語ったことではないという証拠だ」と、厳然と言いのける。このミカヤという預言者の迫力は、まさに生けるまことの神によって遣わされた預言者の威厳である。たといどんなに大きな権力を持つものであっても、間違いは間違いであるとはっきりと述べるのが、預言者の責務であった。現代に、このような預言者の働きを期待することが無理なのだろうか。
 アハブとヨシャパテの二人の王は、それぞれの軍隊を引き連れてラモテ・ギルアデへと出陣した。アハブはヨシャパテに、「私は変装して行くから、あなたは王服のまま戦場に行くが良かろう」と言って、アハブは王服を脱いで、普通の兵士の服装をする。アラム軍は、攻めて来るイスラエル・ユダ連合軍を迎え撃って、どれが王であるかを探した。そして王服を着ているヨシャパテを見つけて、それっとばかりに襲い掛かった。ところがなんとヨシャパテは悲鳴を上げて助けを求めるではないか。彼はこんな戦いにはなれていなかったのかも知れない。一軍の将ともあるものが、たちまち悲鳴を上げて助けを求めるのを見てアラム軍は、これは王さまではないと判断した。そして別の偉そうで強そうなのを探すことになった。
 ところがなんと、アラムの一兵卒が放った流れ矢がアハブ王さまに命中して、アハブ王さまのおなかを射抜いてしまった。王さまは戦車の御者に命じて「傷を負ったから逃げよう」というわけで、第一線から引き上げるが、途中であえなくいのちを落としてしまう。
 さてあの預言者ミカヤはどうなったのか。聖書はそれについては何も語っていない。この場合彼が釈放されたのか否かは問題ではない。彼の預言がまさに成就したのであると聖書は語る。この世の不正と真っ向から戦う預言者の姿を聖書は描かいているのである。

2004.06.21

イエス・キリストの十字架物語 15

27:1 さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。
27:2 それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
(聖書の引用は『新改訳聖書』からです。以下同じ)

 ユダヤ人の最高議会は夜明けまで開かれていました。結論はすでに出ていましたが、最終的な議決が必要でした。ルカの福音書によれば、死刑に賛成しない議員もあったらしいことがわかります。しかしおそらく圧倒的多数で死刑が確定したものと思われます。ユダヤ人議会では、全員一致でないと決議できないという説も聞いたことがありますが……。
 このときには治安の責任はローマ政府にあったので、ユダヤ人の中でも犯罪人を死刑にする場合には、ローマ政府の判決が必要でした。そのために議会はイエスを縛って、当時のローマ総督ピラトという人のもとに送り、ローマ政府による死刑判決を求めることになりました。

27:3 そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
27:4 「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
27:5 それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。

 イエスを祭司長たち売り飛ばしたイスカリオテ・ユダは、イエスが死刑に処せられるということがわかると後悔しました。その代価として受け取って持っていた銀貨三十枚を、「私は罪のない人を売ってしまった。そのことを後悔している」と言って長老たちに返そうとしました。彼はそうすれば長老たちからイエスさまを取り戻すことができると考えたのでしょうか。
 しかし長老たちは「自分で始末しろ」と冷たく言います。ユダは追い詰められて、やけになって、長老たちも受け取らなかった三十枚の銀貨を手にして神殿に行きました。そして彼は激しい後悔の念に駆られ、どこにもやり場のない怒りを、手にしていた三十枚の銀貨と神殿にぶつけて、銀貨を神殿に投げ込むと走り去りました。そして神殿の外に出て首をつって自殺してしまいました。

27:6 祭司長たちは銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから。」と言った。
27:7 彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。
27:8 それで、その畑は、今でも血の畑と呼ばれている。
27:9 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。
27:10 彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」

 祭司長たちは投げ込まれた銀貨三十枚を拾い集めました。そして協議した結果、「神殿の金庫に入れるのはよくない」と判断しました。その理由はイエスさまの血を流すために支払われたものだからということ。したがって彼らは、その銀貨が汚れたものと判断したのでしょう。最初にユダに支払われたとき、金貨三十枚は祭司長や長老たちのポケットマネーから出されたのではないらしい。神殿の金庫から出されたのでしょう。それを再び金庫に入れるのはよくないと彼らは考えたのかもしれませんね。

2004.06.19

棒で殴られるのを黙っていられるか

先日の小泉首相と北朝鮮の金正日総書記の階段の内容が公表された。

@nifty:NEWS@nifty:「米と二重唱歌いたい」…小泉首相に金総書記(読売新聞)

アメリカの暴力が世界を覆う中で、北朝鮮の発言だけが、真実のように見えるのは不思議である。

痛風になってしまった

 「体調不良でお休み」と書いたのは15日でした。
 このときはからだ全体に倦怠感があったのですが、17日朝から、足の親指の付け根あたりが痛くなった。以前から尿酸値が高めだから注意するようにと主治医から言われていましたが、ついに来たかと思いました。
 昨日、主治医にかかって薬をもらってきました。
 YAHOOで「痛風」を検索してみると13件ありました。13件というのは以外に少ないなという感じです。

 痛風は、血液中の尿酸濃度の高い状態が長く続いた後に、体内にたまった尿酸が原因で関節炎が起こったり、腎臓が侵されたりする病気です。  痛風は、中高年の男性に多い病気とされてきました。現在でも変わらず99%の患者が男性ですが、最近では30代で発病する人が最も多く、若年化する傾向にあります。 痛風になりやすいタイプは、行動的、大食い、酒飲みというように“エネルギーの出し入れの大きい人”がかかる傾向にあります。社会的に活躍している人に多い病気でもありますが、高血圧、動脈硬化をはじめ、様々な成人病の誘引となることからも早期治療が大切です。 http://www.tufu.or.jp/

 このWebはかなり詳しく情報が提供されていました。痛風になりやすいタイプとして「行動的、大食い、酒飲みというように“エネルギーの出し入れの大きい人”」とありますが、私は全く反対のタイプです。ぜんぜん行動的ではないし、きわめて小食ですし、酒飲みでもない。ではなぜ……。
 このWebの別のページには「現代社会にあってさまざまなストレスと闘いながらも、それなりに元気に人生を送っている人の病気」とありました。これは言えるかもしれませんね。
 

2004.06.17

イエス・キリストの十字架物語 14

 裁判はカヤパの家の中でなされていたと思われます。事の成り行きを見守る人々は、カヤパの家の中庭に集まって様子を伺っていました。春先のことですからまだ夜中から明け方にかけては気温が下がっていたのでしょう。ほかの福音書を見ますと、人々はたき火をして温まっていたとあります。ペテロもそこに居たのでしょう。かれは周りの人たちに気づかれないように顔を隠すようにしていたのではないかと思われます。自分もイエスさまの弟子だったとわかると、捕らえられてしまうかもしれないとおびえていました。またどうしてこういうことになったのかも、彼には皆目見当がつきませんでした。ですからこれからどうなって行くのかもわからずに、不安におびえていたことでしょう。寒さだけでなく、ペテロはそういう不安や恐怖に、ぶるぶると震えていたのではないでしょうか。

26:69 ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」
26:70 しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない。」と言った。
26:71 そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」
26:72 それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない。」と言った。
26:73 しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる。」と言った。
(聖書の引用は『新改訳聖書』からです)

 ペテロはガリラヤの出身でした。ガリラヤというのはいわば田舎でありますから、ガリラヤ地方のなまりがあったのでしょうね。ここで交わされた会話はごくわずかですが、そのわずかなことばの中にもガリラヤ地方のことばのなまりが聞き取れたのでしょうね。顔を知られている上に、ことばのなまりまで指摘されてペテロは震え上がります。

26:74 すると彼は、「そんな人は知らない。」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。
26:75 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。
(聖書の引用は『新改訳聖書』からです。以下同じ)。

 ゲツセマネの園でイエスさまが弟子たちみんなの裏切り予告をなさいました。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです」(26:31)と言われたのです。
 そのときペテロさんは大いに意気込んで、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」と言います。このペテロさんの決意に対してイエスさまはペテロのつまずきを予告されたのです。
 「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」(26:35)。しかしペテロは言います。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません」。
 この時はもう明け方になっていましたから、鶏が鳴く時刻なのでしょう。ペテロがあなたもあの人の仲間だと言われて、「いや。絶対に違う」と力を込めて否定したとき、ちょうど鶏が鳴いたのです。その声を聞きながらペテロはイエスさまのことばを思い出したのです。あのとき「自分は絶対につまずきません。ほかのものが全部つまずいたとしても、私は決してつまずきません。たとい死ぬようなことがあっても、イエスさまを知らないなどとは決して言いません」と言った、あの決意を思い出したのです。そしてあのときの決意はいまや跡形もなくなくなっていたのです。そのことに気づいてペテロは愕然としました。そして胸の中にこみ上げてくるものがあって、彼はその場から逃げるようにしてカヤパの家の中庭を出ると、激しく泣いてしまったのです。

 ルカの福音書にはイエスさまがそのペテロをふりかえって見つめられたとあります。それが事実であったかどうかは別にしても、ペテロには、イエスさまの視線が確かに感じられたのです。でもそこにあったのは、ペテロのつまずきを非難するイエスさまの目ではなく、このようにふがいないペテロをあわれむイエスさまの目でした。ペテロはそのようなイエスさまのお姿を心の中に感じながら、イエスさまの大きな愛と、自分自身のふがいなさ、イエスさまを知らないなどと言ってしまった自分の罪深さに、彼は耐えられなかったのではないでしょうか。でもそこにはイエスさまの愛の目があったのです。ペテロさんはこのイエスさまの愛の目に支えられて、もう一度、立ち上がることができたのです。
 このペテロさんの失敗は、四つの福音書のどれにも同じように記されています。でもそれぞれの福音書を書いた著者たちが、みんなこのことを目撃していて書いているのではないでしょう。これはみんなペテロさん自身の告白に基づいているのです。
 
 私たちはみな、自分の罪を深く自覚し、その罪を告白し、イエスさまの赦しを経験するとき、罪の中から解放されるのです。自分の中に罪がありますと告白しない限り、赦されることはありませんし、罪から救われることはないのです。イエスさまは私たち、罪深い者のためにも、その限りない愛を注いでいてくださるのです。自分の罪の深さに気づいて涙するペテロを、哀れみの目をもって見つめてくださるイエスさまが、私たちをも今日も、愛の目をもって見つめ続けていてくださるのです。

2004.06.15

お休み

体調悪く、ネット徘徊もお休みです。

2004.06.12

名人戦・森内が勝利

MSN-Mainichi INTERACTIVE 今日の話題

第62期名人戦が、森内挑戦者の勝利に終わりました。昨日は忙しくてニュースを見ている暇がなかったので、今朝の新聞で知りました。今回の6局は、いずれもすばらしい闘いでしたね。
私はどちらかというと羽生名人を応援していましたが、森内王将の強さは圧巻でしたね。なんと言うか、攻めにも受けにも、これしかないという手、最高の一手を指すという手でした。本当に見ごたえのある闘いでした。A級順位戦も、負けなしでしたものね。
これからは森内の時代になるのでしょうか。

2004.06.11

イスラエル・パレスチナの和平

Yahoo!ニュース - 海外 - ロイター

シーアイランド・サミットでは、イスラエルとパレスチナの和平への取り組みを新たに確認した。
ロードマップに明記されていることが遅々として進まないが、なんとか8カ国が協力して前進させてもらいたいものである。

2004.06.08

皇太子の説明文が公開された

YOMIURI ON-LINE / 社会

今までに皇太子殿下をはじめ、皇室の関係者によって、このようにはっきりした個人的意見がマスコミによって報道されるということはなかった。そのことを考えると、今回の皇太子殿下の発言は、ずいぶん思い切った発言だったと思う。
殿下のプロポーズのことばに、「私がいのちがけでお守りします」というような発言が伝えられていて、私など、妻にそんなことを言ったこともないのにと、本当に感心したことを覚えています。
今回のことで、殿下がこのことばを実践しておられることも感じられて、とても感心していました。早く元気になられるように祈ります。

2004.06.04

新曲を発表しました

 KORGというメーカーから、今年の初めに"KORG Legacy Collection"というソフト・シンセサイザーが発売されました。カタログを見たり、HPを見たりして、非常に魅力的な製品だったのでほしいと思ってきました。そしてとうとう手に入れました。
 KORGというメーカーからは、優れたシンセサイザーがたくさん発売されています。しかし最近のソフト・シンセの流行から見ると、ソフトの分野では遅れているかなと思っていました。しかし今回、満を持してと言うのでしょうか、KORGのシンセサイザーの中でも、人気の製品がソフトウェア化されて発売になりました。
 しかも、MS-20とPolysixとWAVESTATIONという三つのシンセサイザーが、一つのソフトの中に組み込まれたという贅沢なものです。コンピュータ上で音楽をするのには、第一にシーケンサー・ソフトというものが必要で、次には音を鳴らすための音源が必要です。最近はコンピュータのCPUだけで音を鳴らすことができるようになりました。そのためにソフトウェアのシンセサイザーが、たくさん市場に出回っています。
 今回KORGから発売されたものは、KORGの音の魅力に取り付かれている人にとっては、何よりも手に入れたいものだったでしょう。私もこのソフトを手に入れて、音を鳴らしてみただけで、もう、このすばらしい音には、十分に満足しています。大げさに言えば、ほんと、涙が出るほどにすばらしいものです。まだ買ってない人は、すぐにも手に入れて鳴らしてみることですね。別にKORGさんから宣伝料をもらったわけじゃないですが……。

 というわけで、この新曲は、インストールして早速鳴らしてみたものです。小曲ですが載せました。
 最近びっくりするような出来事ばかりが続きますので、平和を願いながら です。

将棋名人戦第五局

またまた角替わり相腰掛け銀戦です。
今朝のテレビ中継では、ようやくこまがぶつかったところまででした。
第三局、羽生名人が一勝をあげた局面と同じことをやっているようです。

小学生の事件

 今度は学校内で、同級生の間で事件が起こってしまった。
 このような事件が起こらないようにする予防措置として、学校ではカッターナイフの使用を禁じるのだろうか。あるいは小学生、中学生にはインターネットを禁止するようになるのだろうか。

 社会のさまざまな情報が悪であると言うことはやさしいが、そのような情報を野放図にさせてしまう社会のシステムに問題があるとも考えられる。しかしそういう情報を規制することの弊害のほうが大きいかもしれない。事件というものは起こるべくして起こるのだと、のんきに構えることもできるが、何の解決にもならないだろう。

 優等生的な答えかもしれないが、人間性の基礎的な教育を考え直さなければならないのではないかと思う。手を下した本人自身も、なぜ、どうしてこういうことが起こったのか戸惑っているのではないか。人間はある絶対的なものを畏れなければならないのだという、背骨というか、土台というものがなければならないのではないかと思う。そのようなものを基礎として人間社会が築き上げられなければならないと思う。
 聖書は人間はほうっておけば必ず悪に傾くと言う。これはいわゆる「性悪説」とは違う。人間はもともとは良かったのに悪になってしまったと聖書は言う。最初は非常に良く作られていた人間は、神のことばを聞かなくなってから、堕落し、悪に傾くようになったと言う。
 E・テートというドイツの神学者は言う。「人間性は、人間にたいする神の呼びかけから成立するということである。この〔神の〕呼びかけは、人間仲間と自然との交わりの中で、充実した生活をもちうるための大きな励ましである。現代において、かくも脅かされ不安にさらされている人間にとって、〔この〕確固たる根拠に支えられた希望にまさって切実に必要とされているものはないのである」(岩波書店編集部編『現代文明の危機と時代の精神』岩波書店1984年、263頁)。テートはこの論文で、聖書が提示している神のことばに聞かなければ、現代における人間性は回復できないと述べている。

 宗教教育というものは、非常に扱い方が難しい。現代日本において、「宗教教育」と言わなくても、人間性教育というものが全く欠けているというところに、大きな問題があるのではないかと思う。インターネット掲示板に書き込まれる会話を見ると、そこには他者を気遣い、励ますというようなものはまったく感じられない。人間関係をより良く、より積極的に作り上げようというものは感じられない。反対に他者を貶めることが、いかにも良い発言であるかのような、あるいはそれがいっぱしの自己主張であるかのような錯覚に基づいて、書き込まれているのではないかと思われるふしがある。

 私は上に引用したテートの主張に、そこにこそ現代の人間の生きる希望があるのだと確信する。この確信なしに人はどうやって生きるのだろうか。

2004.06.01

速やかな援助を求めるガザ地区

 パレスチナのガザ地区では、激しい戦闘が続きましたが、ようやくイスラエル軍が引き上げたました。しかしパレスチナ人難民キャンプでは、すべてが破壊されてしまって人々は再び家を失い、学校などで避難の生活を強いられています。人々は速やかな援助を待ち望んでいます。
 その中でもなお、30日にはイスラエルのアパッチ・ヘリコプターから二発のロケット弾が打ち込まれました。

Yahoo!ニュース - 海外 - ロイター
シャロン首相は30日の閣議で、ガザ地区の入植地撤退案を、結局は閣僚の反対が強くて採決するまでに至らなかったようです。しかし与党リクードの党員の世論調査によれば、シャロン首相の撤退案を54%が支持したそうです。
国際世論も、シャロン案を支持しています。

拉致被害家族のニュース

 拉致被害者の曽我ひとみさんの家族が、どこで再会するのかというニュースが、このところ毎日報道されています。NHKテレビは主要な時間帯のニュースでは、繰り返しトップで流していました。それを見ながら私は、もっと大切なニュースがないのかと、いささかいらだっていました。
 たしかにこの問題は今の日本では大きなニュースには違いないと思います。しかし北京で会うとか、いや北京以外がいいとか、いやそうじゃないとか。そんなことは言わなかったとかという扱い方は、ニュースの焦点がずれていて、少し大げさすぎはしないでしょうか。もうちょっと静かに見守ることができないのでしょうか。
 帰国したお子さんたちについても、毎回毎回、繰り返しニュースを流すのも、やりすぎじゃないかと思うのですが。たしかに私たちはこのお子さんたちのことについて心配する気持ちは、みんな同じだと思うのですが、あまりにプライベートな出来事に報道は入り込みすぎていないのでしょうかね。
 もう少し静かに見守りたいものです。

『ダ・ヴィンチ・コード』という本

 『ダ・ヴィンチ・コード』という本がアメリカで評判になっているらしい。この本は03年3月に発売されたのですが、全米で650万部を売るという超ベストセラーとなりました。邦訳が5月31日に角川書店から出版されました。
 これは推理小説で、「イエス・キリストは売春婦だったマグダラのマリアと結婚して子供をもうけ、その子孫がフランスに住んでいる」という想定で、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を手掛かりにキリスト教の闇の歴史を解明するという筋書きだそうです。ホームページでは荒俣宏氏や、養老孟司氏が賛辞を寄せています。
 アメリカでは聖書の歴史を曲解させる危険があるというので、各地でキリスト教会による反論があり、この本を批判し聖書を擁護する本が続々と出版されるという騒ぎになっているらしいです。毎日新聞

« May 2004 | Main | July 2004 »

August 2015
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ