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2004.06.25

現代に預言者を期待する

 旧約聖書、Ⅱ歴代誌の18章を読む。
 南ユダ王国のヨシャパテ王が、北イスラエル王国のアハブ王を表敬訪問したときの話。それまでは王国が南北に分裂して以来、南王国は北王国をほうっておくわけにも行かず、何度か戦いを仕掛けて、王国を取り戻そうとした。しかしこのヨシャパテ王さまは何を考えたのか、友好関係を持とうとしたらしい。
 というのも自分の父王のアサ王さまが、アラムと手を結んで北イスラエルを攻めようとしたにもかかわらず、アラムのベン・ハダデ王にうまいことごまかされて、むしろイスラエルにも危険が及ぶようになったからなのか。アサ王さまの時代にはベン・ハダデ王への多額の貢物が功を奏してか、アラムは北イスラエルの北部を攻めて、その威力を示したのではあるが。
 ヨシャパテという人は、このような政治的取引があったことを知ってか知らずか、のんきに北イスラエルのアハブ王を訪問する、このときイスラエルの王アハブはたくさんのいけにえの動物をほふって、盛大に儀式を演出してユダの王ヨシャパテを迎える。きわめて宗教的に熱心で忠実であったヨシャパテにとっては、この盛大な歓迎は喜ばしく見えたに違いない。
 ご機嫌になったヨシャパテの様子を見ながら、アハブはラモテ・ギルアデの闘いにいっしょに行ってくれと提案する。ラモテ・ギルアデというのは、もともとはイスラエル部族のものであったが、おそらく前回のアラム・イスラエル戦争のときに、アラムに占領されてしまっていたのではなかろうか。アハブはそれをなんとか取り戻そうと考えたのにちがいない。そしていまここでユダ部族の協力が得られれば、それも可能になるのではないかと計算したのではないか。
 ヨシャパテは、きわめて宗教的に熱心な王であった。現代のどこかの国の指導者も、歴史上最も宗教的な指導者と言われているらしいが、その指導者とは違ってヨシャパテは、闘いに行くのはいいけれども、主のみこころを伺ってからにしようじゃないかと提案する。
 アハブ王は自分の配下の、自分に都合のいいことを言う預言者たちを400人も招集して預言させた。これだけたくさんの預言者を配下においているという、その権力の偉大さをヨシャパテに見せ付けようとしたのではないか。。当時の預言者たちは、大勢で恍惚状態になって、あるいは自分の身を傷つけるようなことまでして、これが神の御心であると、熱狂的に預言するというのが普通であった。ここでもおそらくそのような大騒ぎが展開されたのであろう。彼らは「イラク攻撃は――いや間違い――ラモテ・ギルアデ攻撃は、主のみこころであり、必ず成功する」とかなんとか預言したに違いない。
 宗教的なヨシャパテ王さまは、どうもその預言が気に入らなかったらしい。彼の直感では、彼らの預言がどうも偽ものくさく見えたのではないか。それでアハブ王さまに、「ほかに、本当に主のみこころを語ってくれる預言者はいないのか」と聞く。この質問にはアハブは、ぐっと来たのではないか。「なんちゅう失礼なことを言うのか」と心の中では思ったのではないか。
 そこで「もうひとりいるにはいるが、この男は、私の都合の悪いことばかり預言します。ですから私はこの男を大変憎んでいます」と言った。ヨシャパテは、それを聞いて「そんなことを言わずに、その男の言うことを聞いてみたいものだね」といいます。そこでアハブは仕方なく、ラモテ・ギルアデ戦争を何とかしなければという差し迫った問題もあって、とにかくこの男ミカヤを呼べと、しもべたちに命じた。
 しもべたちがミカヤを呼びに言っている間にも、預言者集団の騒々しい預言の踊りが展開されていた。その中でリーダー格のゼデキヤという預言者が、全体を代表するようにして、「ラモテ・ギルアデ戦は必ず勝利に終わるから、すぐにも攻め上れ」と繰り返し預言する。
 一方、ミカヤのところに行った使いのものは、「みんなは王さまの機嫌を損なわないように、王さまの計画に賛成する預言をしているのですから、あなたもうまいことやって」とかなんとか説得します。しかしミカヤは毅然として「主は生きておられる。主が語る以外のことは語らない」と宣言します。
 こうして二人の王さまの前に引き出された預言者ミカヤは、最初こう言う。「ラモテ・ギルアデ攻撃は成功する」と。ところがアハブは、このミカヤの言うことに疑問を感じたらしい。「そんなにやりたきゃ、どうぞご勝手に」というような、いい加減さを感じたらしい。そこで王さまの権威をもって、何度言ったら、主の名によって真実を告げるのか」といきなり怒鳴りつけた。すかさずミカヤは、「イスラエルの軍は、指導者を失った羊の群れのように、ちりぢりばらばらになる」と叫んだ。
 アハブはヨシャパテに、「ごらんのとおりだ。ろくなことを言いはせんわ」と嘆いて見せた。ミカヤはこんどは鋭く「ここにいる偽預言者みんなには、偽りを語る霊が送られていて、その偽りの霊によって語っているのだ」と叫んだ。
それを聞いたゼデキヤはたちまちかっとなって、王さまの前であることも忘れて、ミカヤに近づくとミカヤを殴りつけた。ミカヤは「いまにお前は、間違った預言をしたことによって、その恥ずかしさで奥の間に隠れるようになるぞ」と言った。
 アハブ王は即座に部下に命じて、ミカヤを逮捕させた。そして「私が無事に帰ってくるまで、わずかのパンと、わずかの水をあてがっておけばいい」と言った。これに対してミカヤはアハブ王をにらみつけて「万が一、あなたがここに無事に戻ってくるようなことにでもなれば、それは私が主によって語ったことではないという証拠だ」と、厳然と言いのける。このミカヤという預言者の迫力は、まさに生けるまことの神によって遣わされた預言者の威厳である。たといどんなに大きな権力を持つものであっても、間違いは間違いであるとはっきりと述べるのが、預言者の責務であった。現代に、このような預言者の働きを期待することが無理なのだろうか。
 アハブとヨシャパテの二人の王は、それぞれの軍隊を引き連れてラモテ・ギルアデへと出陣した。アハブはヨシャパテに、「私は変装して行くから、あなたは王服のまま戦場に行くが良かろう」と言って、アハブは王服を脱いで、普通の兵士の服装をする。アラム軍は、攻めて来るイスラエル・ユダ連合軍を迎え撃って、どれが王であるかを探した。そして王服を着ているヨシャパテを見つけて、それっとばかりに襲い掛かった。ところがなんとヨシャパテは悲鳴を上げて助けを求めるではないか。彼はこんな戦いにはなれていなかったのかも知れない。一軍の将ともあるものが、たちまち悲鳴を上げて助けを求めるのを見てアラム軍は、これは王さまではないと判断した。そして別の偉そうで強そうなのを探すことになった。
 ところがなんと、アラムの一兵卒が放った流れ矢がアハブ王さまに命中して、アハブ王さまのおなかを射抜いてしまった。王さまは戦車の御者に命じて「傷を負ったから逃げよう」というわけで、第一線から引き上げるが、途中であえなくいのちを落としてしまう。
 さてあの預言者ミカヤはどうなったのか。聖書はそれについては何も語っていない。この場合彼が釈放されたのか否かは問題ではない。彼の預言がまさに成就したのであると聖書は語る。この世の不正と真っ向から戦う預言者の姿を聖書は描かいているのである。

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