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2004.06.04

小学生の事件

 今度は学校内で、同級生の間で事件が起こってしまった。
 このような事件が起こらないようにする予防措置として、学校ではカッターナイフの使用を禁じるのだろうか。あるいは小学生、中学生にはインターネットを禁止するようになるのだろうか。

 社会のさまざまな情報が悪であると言うことはやさしいが、そのような情報を野放図にさせてしまう社会のシステムに問題があるとも考えられる。しかしそういう情報を規制することの弊害のほうが大きいかもしれない。事件というものは起こるべくして起こるのだと、のんきに構えることもできるが、何の解決にもならないだろう。

 優等生的な答えかもしれないが、人間性の基礎的な教育を考え直さなければならないのではないかと思う。手を下した本人自身も、なぜ、どうしてこういうことが起こったのか戸惑っているのではないか。人間はある絶対的なものを畏れなければならないのだという、背骨というか、土台というものがなければならないのではないかと思う。そのようなものを基礎として人間社会が築き上げられなければならないと思う。
 聖書は人間はほうっておけば必ず悪に傾くと言う。これはいわゆる「性悪説」とは違う。人間はもともとは良かったのに悪になってしまったと聖書は言う。最初は非常に良く作られていた人間は、神のことばを聞かなくなってから、堕落し、悪に傾くようになったと言う。
 E・テートというドイツの神学者は言う。「人間性は、人間にたいする神の呼びかけから成立するということである。この〔神の〕呼びかけは、人間仲間と自然との交わりの中で、充実した生活をもちうるための大きな励ましである。現代において、かくも脅かされ不安にさらされている人間にとって、〔この〕確固たる根拠に支えられた希望にまさって切実に必要とされているものはないのである」(岩波書店編集部編『現代文明の危機と時代の精神』岩波書店1984年、263頁)。テートはこの論文で、聖書が提示している神のことばに聞かなければ、現代における人間性は回復できないと述べている。

 宗教教育というものは、非常に扱い方が難しい。現代日本において、「宗教教育」と言わなくても、人間性教育というものが全く欠けているというところに、大きな問題があるのではないかと思う。インターネット掲示板に書き込まれる会話を見ると、そこには他者を気遣い、励ますというようなものはまったく感じられない。人間関係をより良く、より積極的に作り上げようというものは感じられない。反対に他者を貶めることが、いかにも良い発言であるかのような、あるいはそれがいっぱしの自己主張であるかのような錯覚に基づいて、書き込まれているのではないかと思われるふしがある。

 私は上に引用したテートの主張に、そこにこそ現代の人間の生きる希望があるのだと確信する。この確信なしに人はどうやって生きるのだろうか。

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