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2004.07.15

イエス・キリストの十字架物語 16

27:20 しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。
27:21 しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」
27:22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
27:23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。
27:24 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
27:25 すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
27:26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
(聖書の引用は『新改訳聖書』からです)

 総督ピラトの官邸の前に集まった群集は、激しく叫び続けました。彼らは祭司長、長老たちに説得されて、ナザレのイエスを十字架につけろと叫びたてました。ピラトはこのままでは暴動になりかねないという危機感を感じて、この判決については自分には責任がないということを表明して、群衆の前で手を洗います。
 しかし群集は叫び続けました。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」と。
 この叫びは聖書の中でも、非常に恐ろしい叫びの一つであると私は感じるのです。ユダヤ人たちは、神さまを絶対的なお方と信じていました。ですからこの神さまにのろわれるなどということは、間違ってもしなかったのです。神さまにのろわれるということは、即地獄行きを意味していたからです。
 このときの群集の叫びは、自分たちも、また自分たちの子孫も、神さまにのろわれてもいいという断言を意味しています。
 ユダヤ人の指導者たちは、このようにしてきわめて不法な手段を用いて、神のみ子であるお方を十字架刑に処するという道を歩んだのです。彼らは自分の罪に目が見えなくなっていて、自分では最善を行なっていると思い込んでいたのでしょう。
 一方、イエスさまの弟子たちも、イエスさまの逮捕からの一連の出来事の中に翻弄されて、その意味は何も理解できなかったでしょう。一体何事が起こっているのかさえも理解できなかったでしょうし、考えることさえできなかったのではないでしょうか。

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