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2005.06.25

名人戦・森内防衛成る

森内名人がついに名人位を防衛しましたね。

今回の名人戦七局は、どれも実に見ごたえのある将棋でした。将棋というものはつくづく面白いものだと思いました。同時に戦う棋士はほんとうに大変だなと思いました。

昨夜、九時半ころまで毎日新聞のインターネット中継を見ていましたが、森内名人が5三角と打った時点で、羽生さん投了かと思いながらパソコンを落としました。この将棋も相矢倉のがっちりと組んだ戦いでしたが、森内さんが例のねばりを出し切って羽生さんの攻撃を受け流してしまったところが勝因でしょうね。

2005.06.23

将棋名人戦最終局

将棋名人戦最終局が始まりました。

第6戦と同じく矢倉戦になりましたね。駒がぶつかる寸前で封じ手になって、羽生王将が封じました。

明日は最初から駒がぶつかりそうな気配です。

2005.06.22

人間は神によって創造されたもの

 聖書は、人間は神さまのかたちに造られていると述べている。

 私たちキリスト教保守派の聖書理解の原点はここにあると言える。創世記第1章から11章あたりまでは、まったくの神話だとして無視するのが、現代的な聖書理解だと主張するグループもあるが、私は特に創世記1章から5章までには、現代にも通じる重要な思想が述べられていると考えている。
 ご存知のように、創世記という書物は旧約聖書の冒頭にある書物で、天地創造の物語が最初に書かれている。日本では公的な教育の場でこの世界は神の創造によるものだという、いわゆる「創造論」を教えるところは皆無であろう。しかしアメリカでは州ごとに異なっていて、今でも進化論説と同時に神による創造説を教えるようにと言う要求がなされている。

 それはともかくとして、創世記を読むと、現代の問題に対する明快な答えを見出すことがしばしばである。神は地上に植物をはじめあらゆる動物を創造される。そのときすべての動植物は、その「種類ごとに」創造されたと述べている。ところが人間だけが「神のかたち」に創造されたと書かれている。このことは人間は人間同士で社会を作り出して生きるものではあるが、同時に「神のかたち」であるのだから、神さまとも同じ種類なのであって、その神さまとともに生きるというのが、人間本来のありかたであったのではないか。ほかの動植物は、その種類ごとに群れを成して生きるのと同じように、人間は人間同士で群れを成して生きるのであるが、同時に神の種類であるので、神さまともに生きるのが人間本来のあり方なのだと聖書は最初から教えているのではないか。

 このことを失ってしまった現代人は、あらゆる逸脱の生き方をするようになったのではないかと思う。他の動物は、同じ種類の中で、時には自然淘汰のような特別の場合もあるが、同じ種類の中で大量に殺戮に明け暮れるなどということはない。だだ人間だけが、同じ種類の人間同士で、大量に殺戮を繰り返して、何の反省もしないのは不思議ではないか。神から離れてしまった人間の悲惨な姿がここにあると私は思う。

ライス米長官がイスラエル訪問

 イスラエルとパレスチナ間の和平へ向けての動きがあった。アメリカのライス国防長官が17日から23日の五日間、イスラエルを訪問し、イスラエルとパレスチナの双方と和平へ向けての話し合いをした。イスラエルは和平へ向けての一つの行動として、ガザ地区のユダヤ人入植地を撤収することに決めている。今回のライス国防長官の訪問は、このことを確認することになった。ライス氏は双方にこの撤退計画が順調に進むように要請したものと思われる。
 ガザ地区には21箇所もの入植地があり、およそ8000人から1万人のイスラエル人が暮らしている。この住宅をどうするかも撤退の大きな課題である。パレスチナ側では、この住宅の跡地に高層住宅を建てて、より多くのパレスチナ人を収容したいという希望がある。そのためにイスラエル側はこの、いわゆる低層型住宅を取り壊すと約束したらしい。そのことがスムースに執り行われるように願うものである。

 ガザ地区からのイスラエル人入植地の撤退は、今年8月15日に始まる予定。こんどこそうまくいくようにと願うのはすべての人の願いではないか。アメリカからのなんかの利益提供があったことは考えられることだが。ヨルダン川西側の分離壁建設の容認はその一つでしょうがね。

2005.06.21

国連副議長にイスラエル大使が

 国連副議長と言うのは20何人か居るのだが、その一人にイスラエルの国連大使ダン・ギラーマン氏が選ばれた。
 イスラエルという国は地域的には「アジアグループ」に属するのだが、アジアグループのアラブ諸国からは絶対反対の行動があったので、アメリカの大きな配慮によって、北米諸国などが入る「西欧その他グループ」の暫定メンバーとなったのだそうだ。イスラエルのシャローム外相は、われわれも国連安保理に加わるチャンスであるとかなんか発言したらしい。

 イスラエルという国は、パレスチナとの境界線に巨大なコンクリート製の分離壁建設に熱心である。国連ではこの事業にしばしば「ノー」の決議をしてきたにもかかわらず、イスラエルはその国連決議を当然のことのように無視してきた。アメリカもそのことを黙認した来た。副議長さんはこれからこの議案にはどう対処するのでしょうね。当然無視するのか、そうすれば副議長としての立場を放棄するのか、そうなるとアメリカが何か言うのか。どうなるのでしょうね。

戦争は絶対にすべきではない

NHKの1チャンネル日曜日の午後6時15分からの世界のニュースを好きで見ています。

この番組の最後に世界の子どもたちの生活が映し出されて、それぞれが自分の将来について、などなどを素直に語ってくれるところがあります。これを見ているといつも、どんなことがあっても戦争はすべきではないと強く思わされます。

戦争で真っ先に被害を受けるのが、このように純粋な子どもたちですし、子どもたちが安心して生活し成長していく社会そのものが破壊されてしまうのです。今までのあらゆる戦争の結果、このような子どもたちの生活の場を、また子どもたちの将来を、数限りなく奪い取ってきたのではないかと思うと、ほんとうに心が痛くなる思いをしながら、この画面を見つめています。

どんなことがあっても戦争という手段でことを解決すべきではないと思います。

2005.06.18

小山田二郎展

 東京駅の「東京ステーションギャラリー」で行われた「小山田二郎展」を見に行きました。

 この方の作品は以前に画集や美術雑誌などで見ていて、すごい作品だなぁと感心していました。今回東京ステーションギャラリーで個展が開催されるというので、見に行きました。ぜひ原画を見ておきたいと思っていたからです。油絵38点、水彩画77点、スケッチ26点の作品を一度に見ることができるというのは恵まれたチャンスでした。 
 この作家の作品で有名なものは「鳥女」と題する作品で、鳥の姿で女を描いたのか、女の姿で鳥を描いたのか、微妙な作品です。油絵でもそんなに厚塗りをするわけではありませんが、水彩画のようなタッチに絵筆の尻などで激しく削り取った線が交錯しており、見事な迫力です。

 特に最高傑作とも言える「ピエタ」は、伝統的な手法とはまったくかけ離れた姿で、イエスの死体を抱く母マリヤの姿が描かれます。この作品はすべての筆致が、隅々まで計算されつくしたような線が交錯していて、非常な迫力と作品全体に一つもおろそかにできないという緊張感あります。
 水彩画の一つにつけられた解説によれば、水彩画も何回も重ね塗りをする結果、紙が破れるが、その紙の破れも作品の中に取り入れてしまうという。この説明を見てもこの作家が、徹底して自分の内面と、死に物狂いで立ち向かったことを感じさせるものがある。

2005.06.16

名人戦・羽生タイに持ち込む

今回の第六戦は両者がっちりとやぐらに構えて、見ごたえのある一局でしたね。

62手目の3五角と歩をはらって、さっと7一に引き上げて、代わりに銀を繰り出すあたりは、羽生さん見事な指しまわしだったと思いました。

これで一勝三敗からニ連勝して、ついに三勝三敗のタイに持ち込みました。さすがだと思います。

2005.06.13

スーダン内戦の早期解決を祈る

スーダンの内乱のことが昨年から気になって、ニュースを拾ってきた。

先週の土曜日・11日に、NHK・BSで「忘れられた戦場」と題して、今年の4月に現地を訪れたユニセフ大使のアグネス・チャンによる「緊急報告」が放送された。この放送はDVDに録画の設定をしておいて自分の部屋に帰って寝ようとしていたのだが、コンピュータのスイッチを切ってしまったことを思い出して、あわてて事務室に下りてきてコンピュータのスイッチを入れたが、どういうわけか立ち上がらなかった。それであわてて再び部屋に帰ってビデオに録画した。そのために頭が2分ほど切れてしまった。

しかしそこには想像通りの、いや想像以上の悲惨な状況が報告されていた。もともとは部族間の争いであったものが、近代的な武器を手に入れることによってその争いの状況はより深刻なものとなってしまった。何百万という人々が難民となって仮設テントに避難しなければならなくなっている。中学生の男の子たちが学校に登校するとすぐに廊下に並ばせられて銃殺されたという現場で、アグネスは泣いてしまっていたが、本当に涙なしには見られない報告であった。子どもたちは食料もなく、病気の治療も受けることが出来ず、親が殺害されるという異常な現実の中で、恐怖の為に話すことも出来なくなっている。女性たちは真昼間、砂漠の真ん中で武装した男たちにレイプされる。こういうことが日常的に起こる現実の中で、難民たちは生きている。

以前にもスーダン難民のレポート「ロキ野戦病院」という報告も放送されたが、この悲惨な状況の中でも、NGOのいろいろな働きが現地に入って援助の働きを進めている。しかしそのような団体の働きそのものも危険にさらされているという現実が報告されている。

まさに忘れられた戦場である。イラクの戦争などはテレビなどで派手に宣伝されているが、ここでも表面的な報道の陰には、多くの悲惨な状況があるはず。スーダンのニュースなどは、もっと多くの報道がされなければならないのではないかと思わされる。

このような争いが少しでも早く平和になるように祈るものである。

2005.06.11

クールビズ

夏、外出するときには背広を欠かせなかった私にとっては、少しでも冷房の温度が上がることを期待しています。

NHKはクールビズのニュースを盛んにやるけど、NHKは協力していないんですかね。アナウンサーは依然として背広にネクタイですよ。

2005.06.10

靖国神社の印象

 靖国神社というのは、今も依然として息づいている天皇教の総本山ですよね。

 私は第二次世界大戦の中で、天皇教による厳しい教育を受けたものの一人です。一般的には天皇教とは言わないで、天皇制と言います。でも毎朝、天皇が住んでいると言われる宮城(「キュウジョウ」と読む。いまは「皇居」と言うんですよね)に向かって強制的に礼拝をさせられたという記憶からは、天皇制という制度よりも天皇教といったほうが良いような印象でした。そのほか教育勅語を読むときには、校長先生が恭しく最敬礼をし、それを朗読するのを聴くときには緊張が強いられ、毎朝学校に行けば、天皇の写真と教育勅語を納めた小型の宮城のような形をしたものの前で、最敬礼を強制されたのです。これらから見ると、明らかにそれは宗教的なものであったことはたしかです。
 このような教育を受けた私は、戦後間もなく、それまで使っていた教科書に墨を塗って消すという作業をさせられたことを忘れません。それまでの教育が何か間違っていたということを、このことから私は感じ取っていました。日本を占領したアメリカ軍(実際は多国籍軍=連合軍ではあるが……)によって強制されたものだという意見もありますが、もし仮にそうだとしても、今そのアメリカという国に対して、子犬のように尻尾を振っている小泉さんという人は、このコンテキストの中では、何なんでしょうね。
 1943年。私たち小学6年生は、そのころは国民学校と言ったのではありますが、修学旅行にでかけました。それはなんと宮城、靖国神社、明治神宮を参拝するというものでした。杉並区にあった私たちの国民学校6年生は、徒歩で――歩いてですよ、宮城まで行き、そこで礼拝し、それから靖国神社に参拝し、それから明治神宮まで歩きました。途中雨に降られたりして、さんざんな行軍でした(このようにみんながそろって歩くことを「行軍」と言ったのです)。当時は団体で電車に乗ることはできなかったので、明治神宮で、五六人の組に分かれて、時間を空けて原宿の駅まで行って、電車で帰ってきました。これが「思い出の」修学旅行でした。
 当時の教育はなんでもかんでも天皇の良き臣民を作るというのが、その目的でした。ですから男子は戦争に行って敵と戦って、「天皇陛下万歳」と叫んで戦死し、靖国神社に祭られるが最高の生き方なのだと教えられたものです。宿題を忘れても、勉強が出来なくても、「それでもお前は天皇の臣民か」「ばか者」「非国民」と怒鳴られて教育されたものです。戦後になってそれが全部間違っていましたと言われても、今でも私の心の奥深くに残っている傷はいやされていないのです。

2005.06.08

靖国神社参拝問題

 河野洋平衆議院議長が、森善朗前首相と小泉首相に面会し、靖国参拝を再検討するように申し入れた。これは首相経験者、森氏を含めて5人に意見を聞いて話し合ったことだという。中国から非常に強い意見が出ているので、国策上慎重に行動しなければならないと忠告した。中曽根氏が一度参拝したが、同じく中国からクレームがあって次回からは取りやめた。これが現在の内閣の共通した考えだと言ったとのこと。
 元自治相・野田毅氏は毎日新聞6月7日付の「討論」という特集で、《「殉国の英霊」という表現があるが、国の命令で戦場に出て、非業の死を遂げられた方々に感謝の誠をささげることは当然だ。だけど、そこへ引っ張っていった人たち(A級戦犯)は英霊じゃない。殉国の英霊をみんなが心から慰霊できる神社でありたいと思うのなら、靖国神社はどうすべきか判断してほしい。何もA級戦犯の方々を足げにするつもりはない。靖国神社から削除し、別の人たちが別の場所で祭ればいい》と発言している。

 この問題については、ほとんどが「A級戦犯」を分祀するかどうかという議論が中心になっている。しかし問題は靖国神社の存在の本質にかかわる問題であると思う。靖国神社というのは、もともと戊辰戦争と呼ばれる明治新政府を立てようという勢力と、それにあくまでも抵抗しようとする江戸幕府支持軍とが、日本各地で戦った戦争である。このときに戦死した人を、後に明治政府が祭るために立てた神社である。当時は「招魂社」と呼ばれていた。したがって靖国神社とは、その建立の最初から、天皇の為に戦って戦死した人々を祭る神社であった。第二次世界大戦で戦死した人が祭られているのであって、この戦争で被害を受け亡くなった国内の一般市民については何もしていない。ここには明確な差別の思想があると思う。天皇の為に戦死したかどうかが、その基準である。したがって今でも天皇がこの神社に参拝することを求めている人たちはたくさん居る。戦後しばらくの間は、昭和天皇は靖国神社に参拝していたはず。
 そこに「A級戦犯」が祭られているか否かが問題なのではなく、天皇を中心とする大日本帝国の土台があるのが問題ではないか。したがって小泉首相のように、参拝して何が悪いという論理が成り立つ。世界中は日本を中心に動いている、あるいは動くべきだと思っているのではないか。だから今でも「平成」の御世だなどと平気で言っているのではないか。そんなことを言っているのは、少なくともいわゆる先進国では日本だけなのではないか。
 「A級戦犯」というのは私には日本という国自体を誤らせた重大な責任があると思える。敗戦という悲惨な経験を日本国民に強制した。広島で、長崎で、沖縄で、何万という一般市民は、この戦争に巻き込まれていのちを奪われていった。その責任は日本の指導者たちにあるのではないのか。小泉首相はこの人たちに敬意を表し、この人たちのしたことを尊敬し、そしてその上で平和の決意をすると言う。そして靖国神社を後にすれば、イラクに自衛隊を送り、国連の常任理事国のメンバーに割り込んで、結局は再び戦争の出来る国づくりをしようとしている。これが小泉首相の意味不明な「適切な判断」ということばの意味内容であろう。

『誰も知らない』を見た

是枝監督の『誰も知らない』を見た。2004年のカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受けた作品。主演の柳楽優弥氏が史上最年少で男優賞を獲得したと言うことで有名になった作品。

見終わって私はしばし呆然としていた。見始めるとき途中で一服するつもりでビデオをまわし始めた。しかし物語と画面とに引き込まれて、一気に最後まで見通してしまった。柳楽が演じる明という小学生6年生をはじめとして、四人の子供が、マンションの一室に生活するようになって、母親に捨てられて、明君が生活に奮闘する様子が描かれる。しかもどうもこの四人の兄弟は同じ母親から生まれているが父親はそれぞれ違うらしい。しかし明君は福祉事務所などに相談したらという忠告にも、以前にもそういうことがあって大変だったから、四人がばらばらになりたくないと言う。

最初は明君も母親が置いていったお金の管理もきちんとするし、洗濯も片付けもするのだが、途中から生活が荒れ始める。そしてお金もなくなり、電気も水道もガスも代金の支払いが出来ないのでとめられてしまう。家賃も滞ってしまう。このまま行ったら結末はどうするのだろうと心配しながら見ていた。途中から登校拒否らしい中学生の女の子が加わるが、末っ子の女の子が突然死んでしまう。一人が欠けるが、一人が加わって四人。明君は死んだ妹の遺骸をスーツケースに入れて、羽田空港の飛行機の見える場所まで運ぶ。飛行機を見せに連れて行くからと約束していたからだ。二人で穴を掘ってスーツケースを埋めて帰ってくる。そして四人の新しい生活が始まるという希望を見せて終わりになる。

まさに「誰も知らない」というこの大都会の一隅でおこった子供たちの生活である。大人の社会は彼らの異常さを感じる人もありながら、何の手も出さない。まさに「誰も知らない」し、誰も知ろうとしたがらないのだ。遺骸を入れたスーツケースを、必死になって運ぶ二人の姿は、ラッシュアワーの激しい人ごみの中に見えなくなってしまう。「誰も知らない」というテーマが見事に表現されている場面である。しかし考えてみると、世界のあちこちで、東南アジア、アフリカなどの貧困地区では、ごくあたりまえに起こっている出来事なのではないかと思った。私たちはそういう出来事に目を向けないし、向けようともしないのではないか。

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