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2006.05.23

ダビンチ・コード映画化

 「ダビンチ・コード」という作品が映画化されて公開された。
 公開されるとすぐに、キリスト教会から猛烈な批判が起こっている。イエス・キリストに対するイメージを大きく損なうもので、見るに耐えないものであり、公開は絶対に許せないという激しい批判が加えられている。
 少し前にはイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画に対して、イスラム教世界から強烈な批判があった。すなわち「宗教的肖像権の侵害、あるいは冒涜」だというので、ヨーロッパのキリスト教世界に対しての激しい批判が展開された。
 今回のダビンチ・コード問題は、イスラム教は関係ないが、問題の中心は同じように見える。すなわち今回もまた「宗教的肖像権、あるいはイメージへの冒涜」だというのである。

 この二つの事件は、どちらも宗教そのものもまた、現代的イメージ中心のものに摩り替わってしまっていることを暗示している。宗教の中心は「信仰」という問題であり、あるいは宗教的な「真理」の問題である。それが現代の、すべてのものがイメージ化されるという世界の中で、宗教の中心そのものもイメージ化されるという現象が起こっている。すなわち信仰の対象であものが、イメージ化されて、一人歩きしてしまい、宗教的真理性を失いつつあるということである。すなわち扱っているものは単なるイメージでしかないのだから、それをどのように解釈し、どのように料理しようとも、作家あるいは製作者の側の自由であるというものである。

 そういう中で、日本人は確固とした宗教意識を持たない特異な民族なので、これらの報道においても、一種の野次馬的な扱いで報道されており、日本人の多くは、宗教なんて「なんでそんなに目くじら立てるの?」というような意識でしかない。日本では最近は、すべての人々が「改革だ! 改革だ!」と叫び続けているうちに、何を改革しようとしているのか、何のための改革なのかさえもわからなくなっている。すなわちそれらが単なるイメージ化されてしまって、そのイメージそのものが一人歩きしているからなのではないか。
 『世界』という雑誌(岩波書店)の6月号に東京大学大学院情報学環教授の石田英敬(いしだ・ひでたか)氏が、「テレビ国家--権力のメディア的変容について」という論文を書いている。テレビ・メディアというものはすべてのものをイメージ化して提供するものであり、現代は政治そのものも、そのメディアに乗って展開されていると述べられている。それゆえにそのメディアの受容者である一般聴取者、すなわち国民は、この現代的な仕掛けをいかに読み解くのかという、ハードな責任が課せられてしまっているのではないか。

 この世界は、確固とした宗教的真理が確立されていなければ、すべてはイメージ化されてしまい、混乱するものでしかなくなっていくのではないか。

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徘徊老人さんのブログ「ダビンチ・コード映画化」にトラックバックさせていただきます。 今、ダビンチブームである。たしかダビンチ・コードが書籍でブームになったのが1年半ほど前だったと記憶している。なぜ、いまブームかといえば当然、映画化されたから。キリスト教会..... [Read More]

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