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2006.06.20

私人なのか公人なのか

 安部官房長官が、世界基督教統一神霊協会(統一教会)の関連団体の集会に祝電を送っていたと毎日新聞が報じている。安部氏は事務所が送ったのだと言っているが、事務所の説明によれば、「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付した」ということらしい。公職の肩書きをつければ当然公職の名前と判断されるのではないか。その辺のことがいつもあいまいにされて問題を起こしている。
 私たちは自分の名前に肩書きをつけることによって、自分の社会的地位を周囲に認めさせようとしたり、あるいはそれがその人個人にとっての名誉だと考えたりするのではないか。このような場所に文章を書くときも「小泉が」などと書くことは失礼だと思うし、「小泉さん」でもないし、やはり「小泉首相」が落ち着くような感じがあるのではないか。「ソーリ、ソーリ、ソーリ」などと三回続けて叫んでいた人もあったが……。アメリカなどは誰であろうともファースト・ネームで呼んで、なんでも「ジョージ」で片がつくらしい。ところがひとたびこれに「大統領」などという肩書きがつくと、それだけで世界中に脅しをかける「ジョージ」に変わってしまうから不思議である。
 ある方の結婚式に出席したときのことである。最近の結婚式の披露宴では、非常にえげつないパフォーマンスが行なわれることが少なくないようだ。私が出席した結婚披露宴では、それは新婚夫婦の性生活についての皮肉や羨望を交えたパフォーマンスだった。私には新しく生み出される夫婦を祝福する結婚披露宴という場所には、まったく不似合いな内容だと感じられた。それだけでなくびっくりしたのは、次々とパフォーマンスを披露する人を司会者が紹介するのであるが、この紹介にいちいちその人の公的肩書きを麗々しく述べていたことである。少なくとも私の目には、そのパフォーマンスは決して上品なものとは思えなかった。そこに公的な肩書きを背負った人が次々に出演するなどということは、私にはとても考えられないことだった。極端に言えば自分の社会的肩書きに対してその人は平気で冒涜しているとしか考えられなかった。
 私たちはもしかすると公的肩書きというものを私物化しているのではないだろうか。あるいはその肩書きによって権威や権力を、自分勝手に利用しようとしているのではないだろうか。安部氏も次期総裁選を控えての微妙な立場にあるので、「誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」と述べている。安部氏には直接責任はないとしても、事務所の担当者はやはりその微妙な時期に、微妙な判断をしたのではないかと思う。それにしてもこの宗教法人は、社会的に見ておかしな行動をしている法人であることを、政治家やその秘書たち、あるいは事務所の職員たちはなんとも思っていないのだろうか。安部氏にとってマイナスの印象を与えてしまったのではないか。

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