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2006.07.27

副鼻腔炎の話 その6

■12日(水) この日からは食事もおかゆではあるが、なんとか食べられるようになる。特に変化はない。ただ血圧が160を超えるようになったのが気になる。午後シャワーを使うことが許可され、看護師さんが頭を洗ってくれる。夕方の診察のときにガーゼの一部を取り除いてもらった。少し楽になった感じ。抗生剤の投与も終わって、点滴からも開放される。

■13日(木) 食事はおかゆが続いているが、全部食べられるようになる。この日は耳鼻科の教授回診の日だというのでちゃんとベッドにいるようにと注意される。実際に回診があったのは夕方。教授は診察室のいすにデンと座って、そのまわりを若い医師たちや学生らしい人たちが十数人も取り囲んでいた。実際に診察してくれるのかと思ったら、担当の医師が経過報告をするのを「ふん、ふん」と聞いていて、何も問題がないという報告を聞くと「それじゃ、ガーゼが取れたら退院だな」と診断を下す。
 夜になって担当医師の診察があり、ガーゼのすべてを取り除く。両方の鼻腔に全部で20本ほどのガーゼが詰め込まれていた。鼻がすっかり通るようになって気持ちがよかった。ガーゼを取り除いた後は、たくさんの血のかたまりや粘膜のかたまりなどを取り除いてもらって鼻の中を掃除してもらった。その後は出血しないように綿球を詰めてもらってベッドに戻る。

■14日(金) すべては順調。出血もほとんどなくなった。午後、友人夫妻が見舞いに来てくださる。休憩室で一時間ばかり話す。これでちょっとばかり疲れた感じが残った。朝晩の二回診察があって、血のかたまりなどを取り除いて鼻の中を掃除する。今日からお風呂にも入れるようになった。

■15日(土) 体力の回復のために、病棟の廊下を歩いて何度も往復する。朝の診察のときに、明日、内視鏡で診て、問題がなければあさって退院だと告げられる。

■16日(日) 午後、娘が来る。11階のレストランでコーヒーを飲む。
 今日は日曜日、明日は海の日で休日なので、退院の手続きや会計はどうするのだろうと心配になったが、看護師の説明では、会計は後で請求書が送られるから、それで支払えばいいとのこと。
 夕方、担当医師の診察がある。その後、外来の診察室に行って、内視鏡を使って鼻のかなり奥まで掃除をする。なんという器具か知らないが、耳鼻科ではごく普通の器具で、患部を吸い出すもの。かなり痛かった。最後には内視鏡で撮影した写真を見せてくれ説明を受けた。退院後は二週間に一度、外来で診察を受けるようにと言われた。これで正式に退院が決まった。

■17日(月) 無事退院。で、この日記もこれで終わり。

2006.07.26

車の故障

 車が故障してしまった。最初はバッテリー上がりの状態で、エンジンがかからなくなった。しかししばらく置いておくとまたかかるという状態が、ニ三日前から繰り返していた。そして昨日、外から帰ってきて自宅の前で止まったまま、まったくエンジンがかからなくなった。キーをまわすと「カチッ、カチッ」と音がするので、バッテリー上がりではなさそうな感じだった。
 JAFに来てもらうと、バッテリーは十分にあるので、セルモーターの問題だということがわかった。明日、日産のディーラーまで運んであげるというので、昨日は自宅前の路上駐車のまま寝る。
 今日、JAFが来てくれて上田まで運んでもらう。搬送料は会員は5キロまで無料だが、それ以上はキロ600円ということで、9000円かかった。
 セルモーターの交換ということで、4時間くらいの待ち時間があったので、上田のジャスコという大型スーパーで暇をつぶす。作業も終わって7時ころ帰宅。今日一日、車のことでつぶしてしまったが、そんなに大きな問題でなくてよかった。費用も意外とかからなかった。よかった、よかった。

レバノン戦争

イスラエル軍が、25日、国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の基地を爆撃した。この攻撃で国連軍の四人が死亡した。
もはやなりふりかまわずというところでしょうか。

2006.07.24

まことの救い主は――イザヤ書を読む 1

 十日間の入院の間に、旧約聖書のイザヤ書を読みました。
 イザヤ書というのは旧約聖書の中の預言書のひとつです。旧約聖書は歴史を記述した「歴史書」と、詩篇など文学作品のようなスタイルを持つ「諸書」、預言者たちが記録した「預言書」とから成っています。
 預言者というのは聖書世界での独特の働き人です。その働きによって生活が支えられていたわけではないと思われるので、職業とは考えられません。彼らは神の民と呼ばれているイスラエルの民に、あるいはその政治的、霊的指導者たちに対して、神の御旨はこうですと語ったのです。したがって預言書という書物はいずれも「神はこう言われる」という語り口で記録されています。
 聖書が私たちに教えている神さまは、私たちに語りかける神さまなのです。その集大成が聖書ですね。聖書の民は、この神さまのことばに聴き従うという生き方をしてきました。聖書世界以後のクリスチャンたちも、同じように「聖書が神のことば」という信仰を持って、聖書のことばが自分に語りかけられている神のことばと信じて、生きる糧としてきたのです。

 ところでこの「イザヤ書」の中には「しもべの歌」と呼ばれる不思議なことを書いた部分があります。たとえば《 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける》(7:14)などです。ただしこのところは「しもべの歌」という分類には入らないのです。このところの前後関係を調べてみても、この男の子を産む「処女」というのが誰のことを言っているのか特定することができないのです。しかも預言者イザヤは、預言者として神さまが「こう語れ」と言われたことを語っているのですから、イザヤ自身にはなにかヒントがあったのだろうと思われます。
 さらに不思議なことは、「処女がみごもって男の子を産む」というこの予告が、その700年後、イエス・キリストの誕生以後(特にその復活以後)に、キリストを神の御子と信じるようになったキリスト者たちによって、上のイザヤ書のことばが、イエス・キリストが処女マリヤから生まれるという預言であると解釈されるようになったのです。新約聖書の最初におかれている「マタイの福音書」の冒頭でこのことが記されています。

 イザヤ書の中の「しもべの歌」と呼ばれているところは、これと同じように、イエス・キリストの生涯に関する預言になっているのです。たとえば《見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。多くの者があなたを見て驚いたように、──その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた──》(52:13-14)などもそのひとつです。
 「わたしのしもべ」というのは「神さまのしもべ」という意味です。多くの議論がありますが、それらすべては省略して結論だけ言いますと、この「しもべ」はイエス・キリストを指すと私たちは考えるのです。イエス・キリストは神のしもべ、すなわち全世界の救い主として「非常に高く上げられる」というのです。神の救い主というのは、普通に期待されているのは、大きな力と権威を持っており、見たところも見栄えがあり、崇高ささえも期待されているのではないでしょうか。ところが実際は、メル・ギブソンが「パッション」という映画で徹底して描いたように、神さまから送られたまことの救い主イエス・キリストは、「その、顔だちは、そこなわれて人のようでは」なかったのです。

 現代は世界中で、力や権威が求められ、華やかなスターが求められ、トップ・ランナーが、華やかな脚光を浴びて人々の心を魅了しているのです。そのような権力やきらびやかさなどは、一見、救い主のようには見えるが本物ではないと聖書は言っているようです。貧困、飢餓、エイズなどで苦しんでいる人々に対しては、「顔だちは、そこなわれて人のようではない」という働きが必要なのではないかと思うのです。

2006.07.22

北朝鮮ミサイル発射

 今回の北朝鮮のミサイル発射で、日本の政治首脳陣の慌てふためきようは、日本国民に大きな不安を与えたのではないだろうか。大手マスコミも、それに対しては何も強力な発言をしないということは、今後の日本の国際的立場を大きく不安に陥れるものだったのではないか。

 第一に北朝鮮のミサイル発射の意図であるが、その真意はまったく不明であるとしても、少なくとも北朝鮮が要求していたアメリカとの対話に関連するものだと考えられる。そもそもアメリカが北朝鮮を「悪の枢軸」呼ばわりしたことに端を発している。北朝鮮はアメリカとの一対一の対話を望んでいる。その意図はアメリカから敵視されている問題を解決したいというものであったと思われる。これは単純な問題ではないことは今日までの推移から明らかではあるが、北朝鮮はアメリカを何とかして自国との対話の場に引き出したいという意図だったのではないか。要するに今回のミサイル発射の第一の意図は、対アメリカとの問題であったと考えられることである。

 第二に、ミサイルが落下した地点は、日本からははるか離れたロシア沿岸の日本海である。発射した方向も日本を狙ったとは考えられない。それに対しても日本の慌てふためきようはいったい何なのでしょうか。日本は直ちに国連安全保障理事会に北朝鮮に対する制裁措置を含む安保理決議をアメリカと共同で提案した。ただこれは日本がいきなりいきり立って安保理決議を提案したのに対して、アメリカがそれを支持してという順序だったのではないかと思う。この直前に小泉首相との会談で「世界の中の日米同盟」と歌い上げた手前、日本の要求を支持したのではないか。

 第三に日本政府のあの強気の発言はどこから出てきたのでしょうか。麻生外相が「ミサイルが日本に向けられているのであれば、被害を受けるまで何もしないわけにいかない」と、北朝鮮のミサイル基地に、先制攻撃を仕掛けるべきだとも伺える発言をした。また額賀防衛長官はフジテレビの番組で「敵国が確実に日本を狙って攻撃的な手段を持って、ピストルで言えば引き金に手をかけたというような時であれば、日本を守るためにどうするかは、首相、我々が判断することができると思っている」とまで言い切っている。安部官房長官は、「敵のミサイル基地を攻撃するのは自衛権の範囲」だというような発言をしている。今回のミサイルが、到底日本を狙ったとは考えられないし、北朝鮮が直接日本を攻撃するというような意図があったとも考えられない。それなのにこのようにして敵(と思いこんでいる北朝鮮)に対して先制攻撃を仕掛けんばかりの勢いであるのはどういうことなのでしょうね。小泉首相は「(自分は)ついている。プレスリーの所に行っている時にテポドンが撃たれたら格好が悪かった」と発言したと毎日新聞は報じている。不思議な温度差ではある。
 日本のこの大騒ぎに対して韓国は、そんなに大騒ぎする問題じゃないというような発言をしている。また今、対米関係を悪化させているベネズエラのランヘル副大統領は、「北朝鮮は他の国と同様に武器の実験、開発を行う権利がある」と述べ、「なぜ北朝鮮はだめで、米国は良いのか」と主張したそうだ。

 第四に安保理決議は制裁抜きで可決されたこと。日本の緊急提案に対して中国は真っ向から反対し、決議ではなく議長声明でどうかと提案した。ロシアも中国の提案を支持した。この両国は安保理で拒否権を持つ国である。日本はそれに対してあくまでも制裁を伴う決議でないと意味がないと主張した。中国は北朝鮮と話し合うから少し待ってもらいたいとアメリカに提案した。アメリカはこの中国の北朝鮮との話し合いに期待した。日本は振り上げたこぶしをどこに持っていっていいのかわからなくなって、こぶしを振り上げたまま、あたりを見回しているが、日本の提案を支持する国は見当たらないという事態になった。それでも麻生外相は「拒否権を持つ中国やロシアの意見を受け入れて、制裁措置を含む決議案を曲げるのは、国際社会の中で間違ったメッセージを出すことになる」と言った。この論理をとれば、イスラエルに対する制裁決議のたびにアメリカは拒否権を連発して、国際社会の中で間違ったメッセージを出し続けたということになるのではないか。そういうアメリカの同盟国として日本の外相が、このような非論理的で軽薄な発言をするというのはいかがなものでしょうかね。結局中国とアメリカが話し合った結果、中国の提案した議長声明を採択することになった。日本は直接狙われたのでもないし、直接攻撃されたのでもない。漁船が操業を停止して帰港するという間接的な被害はあったが、まして直接なにか被害を受けたわけでもない。それにもかかわらずあの大騒ぎはなんだったのか。さらには安保理決議は提案したものの、中国とアメリカの話し合いには直接加わることさえできなかったというのは、日本の外交の一人騒ぎに終わったという感じではないか。
 ほぼ同時にイスラエルとレバノンが戦争状態に入って、安保理では北朝鮮の問題に続いてイスラエルに対する停戦要求を議事に乗せたが、アメリカの反対によって決議も、議長声明さえも出せなかった。これはまさに国際社会のなかで、間違ったメッセージを出したことになるのではないか。イスラエルは実験的にミサイルを発射したのではなくて、隣国レバノンに激しい爆撃を行なって、公共施設を破壊し、何人もの人を殺害したのである。イスラエル・レバノン戦争のほうが、国連が真剣に取り組むべき大きな問題なのではないか。

 最後にこの騒動を通して感じたことは、いわゆるポスト小泉の問題である。今回の緊張事態の結果、安部官房長官への支持が高まったと思われる。そして麻生外相、額賀防衛庁長官らの強硬路線を取る人たちが閣僚に入ると、日本は確実に間違った方向に行くのではないかと恐れる。また今回の北朝鮮への議長声明決議から、私は第二次世界大戦直前に行なわれたワシントン、ジュネーブなどの世界軍縮会議のことが思い出された。この軍縮会議で英・米・日の軍艦保有割合が5:5:3に決められたことに対して、日本国内ではさまざまな大きな問題が起こった。そしてこの屈辱的な割合に反発して日本は軍備を増強し、真珠湾攻撃を発端として、太平洋で戦争を引き起こしたことが思い出された。やがて北朝鮮の潜水艦が東京湾に侵入して横須賀基地に停泊中の米原子力空母に対して攻撃し轟沈させたなどという事態になるのではないのか。

2006.07.21

副鼻腔炎の話 その5

 ■10日(月) いよいよ手術の日。朝の食事は抜き。手術衣に着替え、ストッキングをつけ待機する。8時ころになって家内と娘とが来る。
 いよいよ時間になって、ストレッチャーに乗せられ、手術室に運ばれる。そして手術台に乗せられるまでは、まことに手際よく運ばれていく。病棟の看護師二人がストレッチャーを押して、3階の手術室に運び入れると、そこには手術室の看護師が待ち構えていて患者を受け取り、ストレッチャーから大きな手術台のようなところに移し、それから再び手術台に移動するというこの作業が、まるで流れ作業のように運ばれていく。
 手術台に乗せられると、テレビや映画などでおなじみの手術用の照明器具が頭上に見える。寝ているので頭上ではなくて顔上というところ。たちまち手術衣がはぎとられ、心電図がつけられ、右手には血圧計が装着され、左手には点滴がとられ、これらの作業が手順良くあっという間に手術に入る準備が整う。そして担当医師が「だいじょうぶだよ。眠っているうちに終わるからね」と声をかけてくれる。それからすぐに「眠るお薬を入れます。すぐ眠りますよ」といわれると、すぐに目の前がぼぉっとしたかと思うと、あとは気がついたのは病室のベッドの上だった。ちょっと麻酔が効きすぎたらしく、目覚めるのに時間がかかったらしい。9時少し前に手術室に入って、ベッドに戻ってきたのは1時ころだった。
 そのまま夕方まで寝てしまった。目覚めてからはちょっとたいへんだった。目覚めると食事の時間だったのでおもゆが運ばれてきていた。少し水を飲むと、いきなり嘔吐があった。事前に繰り返し注意を受けていたことであるが、鼻からのどに血液がたれてくるので、それを飲み込まないようにということだった。血液を飲み込むと嘔吐してしまうからと注意を受けていた。しかし手術中にすでに胃の中に血液が入ってしまっていたのか、それを吐いてしまった。それでもがんばっておもゆを飲んだけれど、ふたたび嘔吐。少し様子を見ようとそのまま横になっていたが、もう一度嘔吐があって、それから少し落ち着いたようだった。自分の血液なのに、消化吸収してリサイクルすればいいのではないかと、よけいなことを考える。
 点滴はつけられたままだったが、尿管はすぐにはずしてもらって少し楽になる。鼻の手術のあとがかなり痛むので痛み止めをもらう。手術は内視鏡とナビケーションCTによるコンピュータの画像を見ながらするもので、鼻の中の粘膜にできているポリープを切除し、痛んでいる粘膜を切除し吸い出すというもの。そのために出血も続いていて、鼻に詰めた綿球がすぐに血液で染まってしまう。

 娘は東京に帰り、家内はホテルに引き上げる。この夜は私の手術の後に、隣のベッドの人も手術を受けた。この人は咽頭にできた腫瘍を取るのであるが、その準備に気管をのどのところに確保するという手術だった。このために気管にたまる痰を吸入装置によって吸い出さなければならないのだが、この作業が夜通し繰り返しあったので、そのたびにこちらも目が覚めてしまい、眠られぬ夜だった。寝る前には吐き気止めの薬をいれてもらったので、吐き気はおさまった。でも夜中にまた吐き気があるとこまるので、眠剤は飲まずに寝た。そのためにもよく眠れなかった。

 ■11日(火) 朝起きたときには37度ちょっとの熱があった。手術後の顔面が痛むので「アイスノン」をもらう。点滴が続けられていて、同時に出血を止めるために血液を固める薬も投与される。食事はおかゆが出る。でもまだほとんど食べられない。起き上がり、トイレにも自分の足でいけるようになる。点滴がつけられたままなので、点滴の器具を押して廊下を歩いてトイレに行く。テレビや映画などで、こういう姿をしばしば見るのであるが、自分も一度はやってみたいと思っていたので、念願がかない、またその手ごたえを感じていた。
 午後、看護師さんが体を拭いてくれる。夜になって医師の診察があった。新たに鼻の中にガーゼをぎゅうぎゅうと詰め込む。「痛い。痛い」と訴えたが、医師は「これは痛くないようにする方法がないから、ちょっとがまんして」とか何とか言ってせっせとガーゼをつめこむ。ガーゼは幅一センチくらいで長さは20センチくらいもあるかというもの。合計四本のガーゼを詰め込む。ベッドに帰ってすぐに出血があった。でも綿球を三度ほど取り替えて様子を見るうちに出血は止まった。
 この日はよく眠りたいので、眠剤を飲んで寝る。

2006.07.19

小泉首相の言行

 入院している間に東アジア世界に大きな動きがあった。

 第一には小泉首相のあのはしゃぎようはなんだろうという疑問。カナダからアメリカを訪問した小泉首相は、ブッシュ大統領とともにテネシー州のメンフィスにあるエルビス・プレスリーの記念館「グレースランド」を訪れた。
 プレスリーの大ファンだと自称する小泉首相は、大喜びしてちょっとやりすぎじゃないのというパフォーマンスまで見せた。プレスリーの娘のリサ・マリーさんの肩を抱いて「強く抱きしめたい」というプレスリーの歌の一節を歌った。外国のマスコミからはセクハラまがいだと批判された。日本のマスコミはほとんど、このような批判的な記事を出さなかったように思うが。それでいいのか。

 これは公式行事なのか、私的訪問だっのか。ちょっと区別がつかないんじゃないか。この人が私たちの首相ですというには、なんかちょっと恥ずかしいような気持ちになったのは私だけではないと思うが。 公式訪問の行事の一つに、連邦議会での演説を希望していたらしいが、これは上院外交委員長から靖国神社参拝を理由に反対され実現しなかった。すでにブッシュ大統領の支持率は低迷しているし、小泉さんも任期終了が間近なので、大事な職務には気が緩んでいるのかもしれない。

 気が緩んでいるといえば、北朝鮮のミサイル発射の事件に関しても、小泉首相は自ら何も手をうとうとはしないで、すべては閣僚任せだったような気がするが。それともアメリカの傘の下にあって、それほどばたばたと騒ぐほどのこともないと考えていたのか、あるいは日本の首相は国際関係の中では何も発言する力もないということを悟っていたのか。
 日本人として日本の国を愛することはもちろんであるが、国を愛するがゆえに、国際社会の中でもう少ししっかりしてもらいたいと苦言を呈することも許されるのではないか。

2006.07.18

副鼻腔炎の話 その4

 無事手術も終わって、予定通り昨日退院してきました。入院と手術の体験を日記風に書いてみたいと思います。

 7日(金) 朝、9時ころ家を出て、家内の弟の車で病院に送ってもらう。入院手続きをして病棟へ。まだベッドの準備ができていないとかで、しばらく休憩室で待たされる。11時近くなってベッドの準備ができて病室へ入る。6人部屋の大きな窓側のベッドだった。まずは快適。
 まず担当医師による手術の説明があった。すでに外来で聞いていたように、ナビゲーションシステムを使って内視鏡で手術をするという説明だった。このようなシステムは長野県でもこの病院だけだと、宣伝も語られた。特に副鼻腔炎というのは、鼻の両側の頬の部分と、両眼の間、そして額の部分に広がっているので、危険部位を傷つける恐れがあるということだった。そして予後はしっかりと治療を続けないといけないと注意があった。全体にリスクの説明が多かったように思う。そうして手術に関する承諾書にサインを求められた。これによって患者自身が主体的に治療にかかわるという病院の方針が始まることになる。午後には麻酔科の医師から、麻酔についての説明があった。ここでもやはりリスクの説明が中心で、同じく承諾書にサインを求められる。
 この日は、そのほかの手術と入院生活に関するさまざまな注意事項の伝達があって、あとはベッドで過ごすだけ。
 この病院は、私の家からは大きな山を越えたところにある。直線距離にすると20キロくらいであるが、国道245号で三才山トンネルというのを通って約40キロある。他には交通機関がまったくないので車を使わなければならない。手術は全身麻酔で行なうので、家族が立ち会うように言われていた。それで東京の子どもたちに連絡をとって、車で来て家内を自宅から病院への往復の足となってくれるように手配してあった。
 手術の時間がいつなのかを確認しておかなかったが、この日の説明で朝の8時45分からということがわかった。それで東京の娘に連絡して、9日の日曜日の午後に来て、朝の手術の時間までに病院に来るように連絡をした。

 8日(土) 前夜、眠れなかったので、睡眠導入剤をもらった。9時消灯だったが眠れなくて12時近くなってから眠剤をもらって眠った。
 毎日ベッドですることがある。午前と午後に体温を測ること、尿の回数と便の回数を記録することと、食事をどのくらい食べたかを記録することである。これが宿題である。さらに朝晩の看護師の巡回のときに血圧を測る。これらのことをしながら考えたことは、普段でもこのような体のチェックをして、健康管理をしなければいけないのだなぁということだった。
 この日はそのほかにすることもなく過ごす。

 9日(日) 夕方、家内と東京から駆けつけてくれた娘とが来る。家内は病院の近くに低料金のホテルを見つけたので、そこに泊まると言う。
 明日の手術に備えて風呂に入り、そのほかの手術衣やストッキング、タオルなどの備品をチェック。ストッキングというのは、手術中に足の静脈に血液がうっ血しないように、足を締め上げるもの。
 それ以外はすることもないので、明日のことを期待し、神さまに祈りつつ休む。

2006.07.05

副鼻腔炎の話 その3

 6月の19日には手術に備えて、いろいろな検査を受けた。血液検査から始まって、胸のレントゲン検査、肺活量、尿の検査、循環器すなわち心電図検査、腎臓検査などなどである。朝8時半の受付に始まってこれらの四つの科を受診した。最初に説明してくれた看護婦さんも、一日では回れないかもしれないと、気の毒がって説明してくれた。それでもなんとかお昼までにすべての科を回ることができた。

 受診の結果はどの科でもほとんど問題はなかった。高齢になっているので、いくらかデータ的には引っかかるようなこともあったが、いずれも手術に関しては問題ないでしょうという説明だった。
 腎臓の検査。私は20歳代の最後の時期に、腎臓結核という病気をした。そして右側の腎臓を摘出した。それいらい片腎で今日まで来たが、腎臓関連で何かの故障が起こったことはなかった。今回、血液検査で腎臓の数値(何の数値か聞かなかったが)が高かったので、腎臓内科で検診するようにと言われた。腎臓内科の医師は、片腎の場合には数値が高いことがあるので、別に心配はないという診断だった。
 心電図検査。心臓の筋肉の電気の伝達の信号が一箇所鈍いところがあるので、心臓のエコー検査をするようにと言われた。30日に予約を取って心臓のエコー検査をした。その結果は何も問題はないという診断だった。
 ナビケーションCT。23日には副鼻腔付近のCT写真を撮った。この説明をしてくれた医師は「ナビゲーションCT」と呼んでいたが、この記録がCD-ROMになっていて、手術のときはこのCD-ROMに基づいてコンピュータグラフィック見ながら、リモートコントロールで手術をするのだと説明があった。
 この病院はさすがに大学病院らしく、すべてのことがコンピュータで記録されるようになっている。ナビゲーションCTも、撮影が終わって10分ほど待っているとCD-ROMが焼きあがってきて、写真に焼いたものと一緒に耳鼻科の方に持参すると、それに基づいて診断がなされるというようになっている。

 こうして手術前のすべての検査が終わって、入院の用意などに関しても説明を受けて、いよいよ7月7日の入院に備えることになった。

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