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2007.05.12

『読書という体験』岩波文庫

 この岩波文庫は「34人の多彩な筆者による、多様な読書体験記」という宣伝文に惹かれて読んでしまった。その宣伝文には筆者の一人の香山リカ氏のことばが引用されていた。すなわち「熱い気持ちで読んだ本で体験したことの方が、実際に経験したことより今日の私にとって何倍も大切な思い出になっているのだ」というもの。読書体験というものはまさにその通りなのだと説得されたのである。
 選ばれている34人の筆者は、いずれもいわば本読みの達人といえる人たちである。その年齢も1917年生まれから1977年生まれの人まで、およそ60年の隔たりがある。しかしどの筆者も十代の年齢で本を読むことの魔力を経験している。

 私はあまり人の体験談などというジャンルの文書は好きではないので、この本も最初はそんなに身を入れて読んだわけではなかった。しかし読むうちにそれぞれの筆者の読書という不思議な世界の「体験談」に魅せられていった。「へ~、この人はこんな読み方をしたんだ」というようにして、次々と読み進めて、ある種の感動をもって読了した。

 私は十代にはほとんど本を読まなかった。私の父親の蔵書の中には『明治大正文学全集』というものと『世界文学全集』というものがあった。私はその並んでいる本の背表紙をいつも眺めていた。でもそれを読もうとは思わなかった。そういうものは子どもが読む本ではないと思っていたのだった。父親はよくその中の一冊を読んでいたのをおぼえている。父親が一言「読んでみたら」とでも言ってくれたら、私も読んでいたかもしれない。
 私が文書というものを読むようになったのは二十歳代になってからで、それも映画雑誌だった。その中に書かれていた映画批評を読むことによって、だんだんと哲学的なものを読むようになった。その当時は亀井勝一郎とか小林秀雄などをよく読んでいた。それからカントの哲学書を自分でこつこつと読み、同時にヴィンデルバントの創元文庫にはいっていた『西洋近世哲学史』なるものを読破してしまった。
 その辺から私は人生につまずいてしまって、大げさに言えば死の淵をさまようということになった。その暗闇の中で出会ったのはキルケゴールだった。その最初の印象は、ここには何か光があるというものだった。キルケゴールの著作集を読み進めることによって、イエス・キリストに出会いキリスト者となった。私が本格的に本を読み、その読書という魔力にとりつかれたのは、三十歳代半ばにしてキリスト者になってからである。

 キリスト者になり、キリスト教会の牧師になって、牧師という職業上の必要から多様な本を読むようになった。「世界」という雑誌を中心にして、社会学、心理学(精神分析学)、哲学などなど。また当然、文学作品も少しずつ読んできた。今、牧師という職業の現役を少し離れた形になっているので本を読む時間をとることができるようになった。そこで大きな文学作品も読めるようになった。新たな読書体験の世界を楽しんでいる。

 読書の体験というものは不思議な世界である。それにしてもこの本を読み進むうちに、人間の一生というものはなんと短いものだろうかと思った。夢中で本を読み、その経験によって自分の中に自分の世界観を作り上げるのは、十代の仕事なのだろう。大量に出版されている書籍に比べると、それを読む人生の時間というものはまことに短いものだと思う。

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