« September 2007 | Main | November 2007 »

2007.10.26

守屋前防衛次官 「ゴルフ交際」

リンク: 社説:守屋前防衛次官 「ゴルフ交際」に自ら説明を - 毎日jp(毎日新聞).

最初はちょっとしたこと、それもごく日常的なことだったのではないか。
ところがそこに明確な倫理的思考が伴わなかったために、闇の側に簡単に引き込まれてしまったのではないかと思う。うごめいている暗闇の力は、一人の人間の倫理的判断を容易に鈍らせてしまうもの。よほどの決意がなければ、すべての人はこの闇の中に吸い込まれてしまう。
と言うよりも、人々はその暗闇の力の中でしか、動いていないのかもしれない。まわりではやし立てる人々もまた同じである。

お互いに自分がどこを歩いているのかに、常に注意しよう。

2007.10.20

信仰とはこの地上の生の責任を果たす

新約聖書・ヘブル人への手紙11章1節《信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです》。

 このことばは聖書の中でも、クリスチャンたちにはよく知られていることばです。よくよくこれらのことばを読んでみると、実に驚くべき事が言われているように見えます。信仰というものは望んでいる事がらを保証するものだというのです。これだけを読むと、何か空論のように見えます。自分が望んでいること、すなわちまだ確実に現実のものとなっていないことを保証すると言う。
 それに続くことばも同じようです。目に見えないものを確信させるというのです。目に見えないことというのは、目の視力がなくて見えないけれども、手で触ってそのものを確認することができると、そういうようなことを言っているのではありません。それは望んでいるものと同じように、まだ実際には現実のものとなっていないもののことです。

 たとえば、私たちの社会は、将来への正確な予測をして行動をしていると言えます。その場合に予測の正確さというものが求められます。この予測は何によって導き出されるのでしょうか。それは過去のデータだと思われます。過去の正確、精密なデータの積み重ねによって、将来へ向けての正確な予測ができるものです。この場合に予測というところに人間の経験とか判断力とか、知的能力、個人的な欲望などが働き影響を与えます。油断をすれば予測は狂うでしょうし、慎重になれば予測はあまり有効にはならないでしょう。
 スポーツ選手の場合、特にイチローのような優れたバッターになると、自分が予測したところに微妙なタイミングでボールを落とすことができるようになります。打ったボールがピッチャーの前でワンバウンドし、ピッチャーの頭を高々と越えて、二塁手も遊撃手も中堅手も、一人も追いつけないような場所に巧妙にボールを落とすことができます。そのようなシーンを私たちは何回も見ているはずです。

 こういうものはその人の訓練の結果であると言えます。しかし《望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させる》というのはこれらとはかなり違うことを言っているようです。それは自分が確信したり、保証したりするものではないということです。自分以外の誰かが保証し確信させるのです。それは「信仰」ということばに、その秘密があると言えます。
 ここで「信仰」と言っていることばは、聖書が提示している神を信じるという意味です。神を信じるなら、言い換えれば、全知であり全能者であると聖書が紹介している神を信じるなら、これらの事が確実なものとなるというのです。「信仰」ということばは、日本語ではあまり日常的なことばではないようです。しかもその用法は、あまりよいニュアンスを持っていないようです。さらに個というものがあまり明確でなく、個人の主体性というものが社会的にあまり認められていない、あるいはあまり重要視されていない国民性では、聖書が言っている「信仰」というものをうまく説明することは難しいです。
 「信仰」ということばで訳される新約聖書の原文のギリシャ語では、「ピストス」ということばが使われています。このことばはむしろ「信頼する」という意味の方が大切なように思います。「ピストス」ということばは「ペイソー」という語が元になっています。この「ペイソー」は積極的な意味では、相手よりも力や影響力が「まさっている」という意味です。そして受動的な意味では、他の者に「勝たれる」、「勝利者になられる」という意味になります。ですから聖書が提示している神に、自分のすべてを明け渡すというのが、聖書が教えている「信仰」というものです。
 個というものがあまり明確でない日本人にとっては、相手の権威に服するという事も不明確になります。表面的には相手の権威に服すると見えていても、その相手の権威に服する個そのものが不明確なので、服従の仕方も不明確になるようです。また「自分のすべてを明け渡す」といっても、明け渡すべき自分が不明確なので、信仰そのものもはっきりしないものになってしまうようです。これをなんとか是正し、自分を成長させ、自分というもの、「個」をはっきりさせるためには、聖書のことばを信仰をもってよく読むことが大切になります。

 このようにして神の権威を認め、神がすべてを支配しておられるということを認め、了解するなら、神が、「望んでいる事がら」を保証し、「目に見えないもの」を確信させるのだということが、理解できるようになると思います。そこでこんどは、その「望んでいる事がら」とか「目に見えないもの」というのは何かと言うことになります。これはこの手紙の続く諸節で述べられていきます。それはまた別の文章で説明しますが、聖書全体の表現のことばで言えば、神を信じることによって与えられる「永遠のいのち」とか、天の御国への約束というものであると言えます。
 シェンキヴッチ著『クオ・ヴァディス』やラーゲルクヴィスト著『バラバ』などには、第一世紀のクリスチャンたちの迫害の出来事が詳しく描かれています。このクリスチャンたちは、ローマ市の大火の放火犯として処刑されます。しかし彼らクリスチャンたちは死ぬことを恐れるよりも、永遠のいのちの喜び、天の御国への期待や喜びの故に、むしろ喜んで死んでいったと描かれています。実際には死の恐怖というものはもちろんあったことでしょうが、それにもまして、天の御国へのあこがれは強烈だったと著者たちは描写しています。
 このヘブル人への手紙が述べている信仰によって得られる保証や確信、その結果として信仰者がもつことのできる「望んでいる事がら」とか「目に見えないもの」への確信というのは、この天の御国へのあこがれであると言えます。そして聖書は、この信仰があるなら、この地上の生において、人間としての責任を果たすことができるのだと教えています。

2007.10.16

海自インド洋給油問題

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071016dde007010016000c.html
海自インド洋給油:安保理の会合で給油継続を表明--高須国連大使
 【ニューヨーク小倉孝保】高須幸雄国連大使は15日、アフガニスタン情勢を協議する国連安全保障理事会会合で演説し、海上自衛隊によるインド洋での給油活動継続の意思を表明した。

 高須大使は「日本は海上阻止活動継続を決定した。政府は、インド洋での給油活動継続に法的根拠を与えるための法案を近く国会に提出し、承認を得る」と説明した。

毎日新聞 2007年10月16日 東京夕刊

 早くもこのように表明してもいいのですかねぇ。
 日本が憲法で戦争放棄をうたったのは、あの第二次世界大戦という人類未曾有の世界戦争を経験した後に、再び世界は大規模な戦争をするとは、だれも予想しなかったという事情があるのではないか。
 もしそうだとすれば――それがある意味では良心的人々の真実だった――人間歴史の理解に甘さがあったのではないか。すなわち人間の歴史というものは天地創造以来、戦争の歴史であったのだから。戦争はなくしたいと良識ある人たちは考えてきただろうが、考えた結果は互いに武器を取ることしか解決の方法が見いだせないというのは悲しい現実ではないか。
 日本も何も自衛隊まで出動させて、世界戦争に近づきつつある現実に頭をつっこむこともないのではないか。石破防衛大臣は参院の委員会で、洋上給油という曲芸をやってのけるのは、世界ひろしと言えども数カ国しかないとか何とか吹聴していました。
 何かほかにやれることはないのでしょうねぇ。

2007.10.15

何か混乱しています。

なんか最近、他のサイトから簡単にブログに投稿できるシステムが大流行ですね。
一つ試してみたのですが、思ったほどの使いやすさではありませんね。
これもだんだんに改良されるのでしょうね。
いずれにしても、すでに回転の遅くなった頭脳では、何がなにやらわからなくなって、ただIDやらPWやらを登録されるという、なんか危なっかしいことになっています。

> 箱舟の航海日誌



・箱舟の航海日誌 初版は1925年だから80年以上前だ。医師で神秘思想家のケネスウォーカーのロングセラー作品。イギリスでは児童文学の古典として読まれているが、日本ではほとんど知られていないという。旧約聖書のノアの箱舟をベースにした別バージョンを、子供向けにわかりやすく語る。 ノアが箱舟をつくり、あらゆる動物を乗せて漂流するという骨子は、旧約聖書の原作通りなのだが、動物たちが意思を持ち、しゃべっている点がまず違う。救われるべき動物たちは、無垢な存在で箱舟ではオートミールの食事を食べている。漂流中の不便に多少の不平はあっても、みんなで仲良く暮らしていけるはず、だった。 一頭の「スカブ」という、禁断の肉食動物が紛れ込んでいたことから、物語は妙な方向へ展開していく。はじめは根暗で陰気な存在に過ぎなかったスカブだが、しだいに箱舟の動物社会に不穏な空気を広め始める。動物社会の分裂。そして、聖書の中では語られなかったノアの方舟の大航海の真相がここに明かされる。 本来は児童文学なのだが、大人のための寓話として、随分と考えさせられる小説である。最初は良き意図を持って秩序正しく暮らしていた社会が、小さなきっかけから、次第に悪徳に魅せられるものが増えて、堕落していくという、人間社会の普遍的な様子を描いている。 もともとスカブは、根っからの悪魔的存在ではなく、ある偶然で、肉食という本能に目ざめることになった弱者である。生来の悪人ではなかったのだが、結果的には悪の扇動者になってしまう。悪の起源とは何か、なぜ人は悪徳に魅かれることがあるのか、なぜ社会は分裂していくのか、など、子供向けの文学であるが、背景で扱われているテーマはどれも大きくて深い。...
箱舟の航海日誌


  generated by feedpath Rabbit

Continue reading "> 箱舟の航海日誌" »

2007.10.14

見よ。すべてが新しくなる!

 《だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました》(Ⅱコリント人への手紙5:17)。

 このことばはなんと力強いことばだと思わないでしょうか。この世界のどこにこのように断定的に言うことのできる人があるでしょうか。たとえば「だれでもこの会社にはいったなら、その人は新しく造られた者です。……」などと挨拶する社長さんが居るでしょうか。
 今のこの世界は、大きな行き詰まり状態を打開することができずにいます。《すべてが新しくなりました》などというところはどこにも見当たらないというのが現実です。世界中の人たちは、そのような現状の中で息もできないで居るようです。
 しかしすべてが行き詰まり状態だというのは、今に始まったことではないようです。人間の歴史の中ではいつの時代でも、どんな支配者の時代であっても、いつも行き詰まり状態にあったのではないかと思います。その打開の方法として人間はいつでも、戦争という手段、あるいは暴力という手段を用いてきたのではないでしょうか。

 上に引用した驚くべき内容のことばは、第一世紀の時代に書かれたことばです。キリストが十字架につけられて死に、墓の中からよみがえってきたという出来事から、20年から30年くらい後の時代に、当時の世界中、すなわち今のパレスチナからトルコ、エーゲ海周辺のいくつかの都市を駆け巡って、このことばを人々に語り続けた人が居ました。その人は「使徒パウロ」と呼ばれる人です。このパウロはキリストの死と復活の意味を、ユダヤ教の経典である旧約聖書から解き明かし、キリスト教会の基礎を築き、キリスト教会を世界大に広げるきっかけを作った人です。

 上に引用したことばは、ギリシャのコリントス市にある教会の信徒たちにあてた手紙の中の一節です。「キリストのうちにあるなら」というのは「キリストを信じるなら」ということとほぼ同じ意味です。すなわちキリストを信じるなら、すべてのことが新しくなるというのです。
 第一世紀の時代も、今と変わりなくすべてが行き詰まり状態だったと言えます。そういう時代に向かって使徒パウロは、キリストを信じるところに人生を生きるための解決があると人々の魂に語り続けたのです。「見よ。すべてが新しくなる!」と語り続けたのです。

2007.10.02

私のホームページ

私のホームページが長い間眠っていましたが、再開しました。
ブログの方が何かと扱いやすいので、ついついホームページの方はおろそかになってしまいます。内容的にはこのブログとダブるようなところもありますが、お暇な折には是非お出かけください。

ホームページの方には、私の本職である聖書の説教や論文などを載せていきます。
よろしくお願いします。アドレスは下記のところです。

http://homepage1.nifty.com/jn316/

2007.10.01

福田首相:初の所信表明 格差是正に重点 - 毎日jp(毎日新聞)

リンク: 福田首相:初の所信表明 格差是正に重点 - 毎日jp(毎日新聞).

福田新首相が施政方針演説にまでこぎ着けましたね。突然のことで本当に大変だったと思われます。
でもどうやら無難に処理したようです。野党の反論も、そんなに威勢のいいものは見あたらなかったようですね。これからの対話に期待されているようです。

福田さんの人柄を現わしているのでしょうが、すべてを温厚にという考えのように見受けられます。しかし一国のリーダーとなると、あまりのんきなことを言ってばかりもおられないでしょう。小泉さんのように太い柱を押っ立てるのでなくても、細くてもしっかりした柱を立ててもらいたいように思いますね。

ダルフール:何者かがAU基地襲撃10人死亡 スーダン - 毎日jp(毎日新聞)

リンク: ダルフール:何者かがAU基地襲撃10人死亡 スーダン - 毎日jp(毎日新聞).
国連の介入がうまくいかないですね。国連安保理の理事国が、国連本来の使命を忠実に果たしていないという問題があるのではないかと見える。

« September 2007 | Main | November 2007 »

August 2015
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ