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2007.10.14

見よ。すべてが新しくなる!

 《だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました》(Ⅱコリント人への手紙5:17)。

 このことばはなんと力強いことばだと思わないでしょうか。この世界のどこにこのように断定的に言うことのできる人があるでしょうか。たとえば「だれでもこの会社にはいったなら、その人は新しく造られた者です。……」などと挨拶する社長さんが居るでしょうか。
 今のこの世界は、大きな行き詰まり状態を打開することができずにいます。《すべてが新しくなりました》などというところはどこにも見当たらないというのが現実です。世界中の人たちは、そのような現状の中で息もできないで居るようです。
 しかしすべてが行き詰まり状態だというのは、今に始まったことではないようです。人間の歴史の中ではいつの時代でも、どんな支配者の時代であっても、いつも行き詰まり状態にあったのではないかと思います。その打開の方法として人間はいつでも、戦争という手段、あるいは暴力という手段を用いてきたのではないでしょうか。

 上に引用した驚くべき内容のことばは、第一世紀の時代に書かれたことばです。キリストが十字架につけられて死に、墓の中からよみがえってきたという出来事から、20年から30年くらい後の時代に、当時の世界中、すなわち今のパレスチナからトルコ、エーゲ海周辺のいくつかの都市を駆け巡って、このことばを人々に語り続けた人が居ました。その人は「使徒パウロ」と呼ばれる人です。このパウロはキリストの死と復活の意味を、ユダヤ教の経典である旧約聖書から解き明かし、キリスト教会の基礎を築き、キリスト教会を世界大に広げるきっかけを作った人です。

 上に引用したことばは、ギリシャのコリントス市にある教会の信徒たちにあてた手紙の中の一節です。「キリストのうちにあるなら」というのは「キリストを信じるなら」ということとほぼ同じ意味です。すなわちキリストを信じるなら、すべてのことが新しくなるというのです。
 第一世紀の時代も、今と変わりなくすべてが行き詰まり状態だったと言えます。そういう時代に向かって使徒パウロは、キリストを信じるところに人生を生きるための解決があると人々の魂に語り続けたのです。「見よ。すべてが新しくなる!」と語り続けたのです。

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