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2008.01.31

ジョン・スタインベックの『エデンの東』

 昨日ジョン・スタインベックの『エデンの東』(ハヤカワ文庫版)を読み終わった。二度目の読了だった。いろいろ批評はあるけれどもすばらしい作品だったと思う。スタインベックの作品の魅力は、その物語の構成のすばらしさにあると思う。この『エデンの東』も物語に豊かさと深みとがある。毎晩寝る前に少しずつ読んできたが、毎日次の物語を読むのが楽しみになるほどだった。
 物語の中心はアダム・トラスクという男の家族の歴史である。そして彼の双子の男の子アロンとカレブ――通称「キャル」――の物語である。その物語の中心人物の名前を見ても分かるとおり、この物語は聖書の重要なメッセージを語っている。
 この家族の他に多くの登場人物があるが、その中でもアダムが尊敬するサミュエル・ハミルトン、そしてアダムの家の召使い、中国人のリーが重要な人物として描かれる。 この二人が物語の中頃で長い議論をする。それは創世記4章7節の最後のことば「ティムシェル」の解釈についてである。
 創世記4章はこのように語っている。アベルを殺したカインに対して神が「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである」と言われる。この最後の「治めるべきである」と訳されたことばが「ティムシェル」というヘブル語である。このことばはどう解釈して、どう表現するかについて、昔から議論のあるところである。新改訳聖書は上のように訳したが、新共同訳聖書では「支配せねばならない」と訳している。
 「支配せねばならない」という訳には、罪を自分で支配する責任があるのだという解釈であろう。あるいはやむを得ず、支配しなければならないという状況になる、というもの。「治めるべきである」という場合には、責任があると同時に、「治める」というかなり積極的な動機が考えられているのではないか。
 聖書の中心的な教えは、人間は自らの罪を、あるいは悪を、自分で治めなければならない。すなわち処理しなければならない。それは自分の責任であると同時に、それを自分で意図的に処理するところに、人間としてのほんとうの存在があるというもの。そしてそれは神のことばに聞くということによって成立する。
 二人の議論は、結局「治めるべきである」という結論で同意する。これはもちろんスタインベックの考えである。そしてこの「エデンの東」という作品のテーマは、このことにあると言うことができる。
 リーはことあるごとにアダム家の双子、特に父親の愛情を求めて苦悩するキャルに対して、繰り返し、恐れることなく正直に言いなさいと忠告する。キャルは心の中の屈折した思いに悩む。そのたびにリーは、その悩みを正直に言葉で言い表すようにと忠告していく。ここには自分の悩みに正直に直面するように、人間にはそのような責任があるという思いが反映されていると言える。そして同時に人間というものは、すべての時に、そのようにすべきなのだというスタインベックの思いがあるのだと言える。スタインベックはこの作品を通して、このような思想を読者に語っているのだと思う。
 最後に愛する息子のアロンの死を知ったアダムは、そのショックで重い脳梗塞を発症する。その病床で父アダムと、息子のキャルの和解が、リーの説得によってなされる。リーがアダムに、一人だけ残った「息子の名前を呼んでください」と懇願する。それに促されてアダムの唇から漏れたことばは「ティムシェル」ということばだった。

2008.01.30

ケニア:暴動終息せず…報復合戦の様相 - 毎日jp(毎日新聞)

 

ケニア:暴動終息せず…報復合戦の様相 - 毎日jp(毎日新聞)

人間という種族は、いつでも、あらゆる場所で、互いに殺戮を繰り返してきた。アフリカなどは部族間の対立から暴動になるという図式を繰り返してきた。有力な指導者が出て、近代国家として統一されれば、なんとか互いに協力できるのではないかと思う。

でも近代国家というものはまた、暴動という次元ではなく「戦争」という殺戮を繰り返してきた。
人間の歴史は血の歴史であることはよく知られていることである。
しかしケニアという国はキリスト教徒が多い国であると聞いているが、キリスト教会の力はこの世の世俗的力に押しつぶされているのだろうか。

大相撲:「朝青龍、みそぎ済んだ」  毎日jp(毎日新聞)

 

大相撲:「朝青龍、みそぎ済んだ」 横審「白鵬と2強時代を」 - 毎日jp(毎日新聞)

 

大相撲初場所は、両横綱が順当に勝ち上がって、千秋楽に相星決戦となった。日本相撲協会もこれで一安心。そして相撲人気も回復してやれやれと言うところ。ただ「日本」という字がついているのが気にかかるが。やがては本場所はモンゴルで開催などということになるのではないか。
それにしても両横綱の相撲には力が入りましたね。あれだけ互いに強烈な引きつけ合いをして、両者とも足がぴっりと土俵についているというのには、本当に驚きました。でも一瞬白鳳の足が離れましたけどね。今の日本人力士の中には、あれだけしっかりと両足が土俵についている人はいないのではないでしょうかね。

この記事はどこかに書いたと思うが、どこに書いたか忘れてしまったので、もう一度投稿する。

2008.01.19

日本経済は一流だったのか

 「もはや日本は『経済は一流』と呼べない」--。18日召集された通常国会冒頭の経済演説で、大田弘子経済財政担当相が国際的地位の低下に歯止めがかからない日本経済の現状について、異例の厳しい指摘を行い、議場にどよめきが起きる一幕があった。

毎日新聞はこのように報じていた。
確かに日本は「経済は一流」と考えてきた。しかしこれはなにか虚構のようなものの上に乗っかっていたに過ぎないのではなかろうかと思う。私はいつも聖書を読むとき、イエス・キリストの時代のことを考える。この時代にはすでにローマという国が存在していた。これと同じ時代の日本は、まだ弥生文化の時代であり、歴史の彼方にある。

ローマ帝国はその頃からすでに大きな権力をもって世界を征服し、国家という形態をとり、巨額の資産を築き上げていた。それは国家としての資産というよりも、それぞれの時代の個人の資産であったかもしれない。いずれにしてもその頃の大きな宮殿などが今日まで残っているということは事実である。ギリシャ文明が残したものはそれよりもさらに過去の時代である。

その後これらの文化文明はヨーロッパ各地に広がり、織田信長の時代には日本まで貿易船を送り出すまでに巨大な資産を、営々と積み上げていた。それは自分たちとは違う民族との戦いや征服によってなされたことも歴史の事実ではある。この頃日本は世界と通商を行うことによってあるいは資産を積み上げることができたかもしれない。しかし鎖国という手段によってその道を閉ざしてしまった。その辺のいきさつについては和辻哲郎が、太平洋戦争直後に発表した『鎖国』という作品に詳しい。

1800年代の中頃になって日本はようやく外国との交渉を始めた。そしてヨーロッパの戦乱に乗じてロシア艦隊を日本海で破壊したことに気をよくして、世界の一流国になったという錯覚を作り上げた。しかしそれ以前にすでにロシアという、その当時の日本からみれば巨大な国家が存在していたことを知ることはなかった。この辺の事情は井上靖の『おろしや国酔夢譚』に詳しい。

世界の一流国になったという錯覚の上に、いわば虚構の「国力」をつけて、恐れ知らずに世界を相手に戦争を起こして失敗した。その結果は国力のすべてを失うという壊滅的なものだった。ところが目ざとく立ち回る日本人は、あっというまに経済的に世界一流という錯覚を作り上げてしまった。一方では国土そのものの力を無視してしまったのではないか。ヨーロッパの諸国は、その土地が生み出す農作物や森林や鉱物などによってその資産を築き上げてきたのではないか。日本製の葡萄酒がようやくヨーロッパでも認められて商品として輸出できるようになったというニュースをNHKが報じていた。ヨーロッパの葡萄酒は1千年、あるいは2千年、それ以上もの歴史を持っており、葡萄酒だけでなく、それに伴う多様な資産を積み上げてきているのではないか。日本は今では林業は立ちゆかなくなり、農業も破壊する方向という政策をとってきた。そして今や日本の国土は何も生み出さなくなってしまったのではないか。

そこには「世界一流の経済」などと言える土台、すなわち「国土」と言える資産がなかったのではないか。確かに一時的な好況にわいていたこともあった。人間というものはわずか70年しか生きない。しかもその70年の間に、本当に生産的に生きることができるのは、わずか30年ほどでしかない。この30年の間に、次の世代のために有用な国土を残すという仕事をしなければならないのではないか。

2008.01.10

体調不良と金融危機

Windows Live Writer というものを使ってみている。どうということもない投稿の原稿を書くだけのもの。書きやすくはなっているみたい。

ところで1日から体調を崩して、今日もだいぶん体調は低調である。

昨年後半から、アメリカの「サブ・プライム・ローン」の焦げ付きから、ドル安、そして国際金融不安ということに発展して大騒ぎとなっている。これは低所得者向けの住宅ローンを大量に販売して、しかもその債券を商品化して大量に売り出すという、夢のような話が瓦解したことによるらしい。債権に対する信用保証を次々とつけて行った結果、どこに信用があるのかがわからなくなってしまったということ。その結果がドル安を導き、さらには投資資金が石油に流れ、あるいは金の先物買いに流れるという現象を生み出し、今や世界経済は何がなにやらわからなくなっているという状態。

最近はどこでも、債権を商品化するという手段が用いられている。これはかつて日本がバブル崩壊という形で手痛い損害を受けたのと同じこと。信用が保証できないような相手の債権を、さらにその上の保証会社に担保する。そうして次々と担保されていく結果、一枚の紙切れが莫大な権利をもつものに豹変してしまう。すなわち実態のない所に巨額の保証を期待するという夢のような話なのである。世界的にお金が余りすぎているのであろう。ドル札は足りなくなれば印刷すればいいということでやってきたからなのであろう。

2008.01.08

新年になったが

 2008年になった。私たちキリスト者は「主の年2008年」と言う。
 しかしこれはキリスト者ばかりではなく、世界共通の表記方法である。すなわちAD2008年なのだ。「AD」というのは当然知られている表記方法であるが、念のために説明すれば、Anno Domini すなわちラテン語表記で「主の年」ということ。
 日本ではめでたくも「平成天皇の御代20年と」表記する。

 新しい年になって希望があるかと思ったら、いきなりの株価下落。なにか不穏な年となりそうな気がする。神のことばに真剣に耳を傾けるという人も少なくなり、世界中で神のことばは完全に無視される傾向にある。
 《人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです》(新約聖書Ⅱテモテ4章3-4節)と、使徒パウロは弟子のテモテに警告している。

 この文言が書かれてから2000年近く、いつの時代も同じようだったともいえるが、現代は急速に世界大にふくれあがったコミュニケーション手段によって、気に入った教師たちを自分から呼び寄せる必要もなく、向こうからやってくるようになった。
 それと同時に、巨大な黒雲もまた、世界を覆っている。年の初めには何かかっこいいことを言うのが、日本人の習わしらしい。私は1日、2日と熱を出して寝込んでいたからかもしれないが、私の心の中は、近来になく不安が渦をまいている。今、日本の若者たちはどんな夢を将来に向けて描くことができるのだろうか。

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