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2011.08.31

『哀歌』

この「哀歌」と題された詩篇は特殊な場所にある。それはエレミヤ書に続いている。もともとは「エレミヤの哀歌」として知られていたからなのだろう。形式は明らかに詩篇である。5章まである、そのうち3章だけが66節で、そのほかは22節ずつからなっている。これはへブル語のアルファベット詩という構造で作られている。だから詩篇や箴言、雅歌などと一緒にまとめられるほうがいいように思えるが、たぶん古くからエレミヤの預言書に続くものとして愛読されてきたものなのであろう。

この哀歌は冒頭から深く静かな悲しみが満ちているという感じ。《ああ、人の群がっていたこの町は、ひとり寂しくすわっている》(1:1)と歌いだされる。エレミヤ書を通して読んできたものには、この書き出しから、エレミヤが著者であるかどうかは別にしても、エレミヤ書に続けて読むものということがぴったりくる。さらにはエレミヤの時代だけでなく、ダビデ王、ソロモン王の時代のユダ部族の繁栄の歴史をよく読んでくるなら、この哀歌の深い悲しみは読む者の心を深く打つものである。

最後の5:19-22に歌われることばからは、主なる神ご自身が、必ず自分たちを顧みてくださるのだという深い信仰に裏付けられていると感じられる。そしてやがて――エレミヤが語ったように70年後――エルサレムは再建される。もちろんかつての繁栄は回復しなかったが、救い主イエスの誕生という完全なる回復か与えられた。

トマス・タリス(1505-1585)という人がこのことばに合唱曲をつけている。この音楽は15-16世紀の教会の典礼音楽の流れにあるものと思われる。この曲を現代の合唱グループ「タリス・スコラーズ」(タリス研究家たちとでもいう意味か)が演奏したCDを聞くことができる。このグループは日本でも演奏会をしたことがあるが、ビブラートの少ない純度の高いハーモニーを聞かせてくれる(CDGIM-996)。素晴らしい演奏である。ただことばがわからないのと、楽譜を未入手なのが残念。どなたか楽譜を手に入れる方法を知りませんか。

 

2011.08.30

早くも秋です

今日、用事があって下の街に出た。帰り道、標高800メートル超の地域に入ると、風景が一変していることに気付いた。緑の樹々が、昨日まではまだ夏色だったと思ったが、今日はすっかり秋色になっている。

夏色の緑というのはムンムンするという感じで、私は好きではない。しかし秋色になると、同じ風景が一変するのには驚かされる。秋色からいわゆる紅葉という季節になる。この季節はほんとうに、ことばで表現できないほどの見事さである。

紅葉ということばはもみじやイチョウなどのことを意味しているように思う。都会に住んでいれば、もみじもイチョウも何も気がつかずに季節が過ぎて行ってしまうようだ。でもこの山の中に住んでいると、この秋の時期、毎日風景の色が変わっていくのに、ほんとうに驚かされる。緑色が日々うすくなり、やがて黄緑色に、あるいはことばでは表現できないような、うすい黄色や、赤色、あるいは茜色、そして透き通るような茜色などに変化していく。この色が木々によってさまざまに変化するので、それらが重なって見える風景は、実に見事である。

しかしこの多様な色も、太陽の光が当たらなければ、何の感じも与えない。このさまざまに変化する色は、太陽の光があたって初めて、その見事さを表すのだ。要するに木々の多様な色が美しいというよりも、その木々の葉が、太陽の多様な色を反射するから美しく見えるのだ。

日本気象協会のtenki.jpというところに登録して、ツイッターのような書き込みを楽しんでいる。これを見ると松本市の西のほう、すなわち島島あたりでは、「気温が13度くらいで寒い」と書き込まれている。やはり標高800メートル以上は早くも秋なのだなぁと思う。

2011.08.20

イスラエル軍、ガザ各地を報復空爆

【エルサレム=加藤賢治】イスラエルで武装集団が路線バスなどを攻撃した18日の襲撃事件を受け、イスラエル軍は19日にかけてパレスチナ自治区ガザ各地を報復空爆し、ガザからの情報によると、計8人が死亡した。

軍によると、ガザの武装勢力は少なくともロケット弾12発をイスラエルに向けて発射して応戦。同国中部アシュドッドの住民10人が負傷した。

(2011年8月20日01時13分  読売新聞)

イスラエル軍、ガザ各地を報復空爆…8人死亡 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

2011.08.12

『半分のぼった黄色い太陽』

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著『半分のぼった黄色い太陽』を読み終わった。これは図書館から借りたもの。8月29日に武石の公民館で受け取って借りた。返却期限の三週間で、この大長編を読み終わるかと心配したが、二週間で読了してしまったことになる。500ページあったので一日35ページほどを読んだことになる。

アディーチェという作家はナイジェリア人。1977年生まれというのだから今年34歳になる若い女性の作家。この作品は2006年にすなわち彼女の29歳の年に発行された。ナイジェリア対ビアフラ戦争という悲惨な歴史を背景に物語が語られていくが、カイネネとオランナという双子の姉妹の日常を淡々と描いている。すなわちこの姉妹を中心とした日常の情景が語られていくのだが、その日常の中に突然のようにして悲惨な戦争が入り込んでくる。戦争による悲惨な現実も、彼女たちの日常の視点から描かれている。なにか大上段に振りかぶるような意識ではない。

このタイトルの「半分のぼった太陽」というのは、ナイジェリアから独立しようとしたビアフラ共和国の国旗のこと。1967年から始まったこの戦争は、イボ族という部族を中心に進められていく。一時はイボ族が中心になってビアフラ共和国が独立宣言をしたが、国際社会にはほとんど顧みられずに完全に敗北してしまう。このイボ族が住んでいた地域は、戦争と同時にたちまちのうちに飢餓状況に陥る。手足が骨と皮だけにやせ細り、おなかだけがボールのように膨らんだ子どもの写真が、報道カメラによって撮影され、全世界に衝撃を与えたことは私もいまでも記憶している。

ナイジェリアという国は、アフリカ大陸が西側に突き出た地域の南側の大西洋に面する国で、かつてはそこの原住民がアメリカやヨーロッパへ奴隷として輸出されていたところである。「奴隷海岸」と呼ばれていた。もともとはイギリスの植民地であった。その関係で北部はイスラム教徒が多いが、南部はキリスト教化されている。国土は日本と同じくらいであるが、人口はアフリカでも最大で1億5千万人ほどが暮らしている。

このような歴史的背景を持っているので、白人あるいは白人がもたらす白人文明に対するあこがれとかコンプレックスがあるらしい。この物語はこの白人文明の中にある中産階級の家にハウスボーイとして雇われるウグウというイボ族の少年の目が見たことから語られていく。

このような原住民たちは少しでも文明に接して自分を文明化しようと必死になっている。この本のタイトルの「半分のぼった黄色い太陽」ということが、それを意味しているのではないかと思った。同時に日本もかつては半分しかのぼれない太陽だったのではないか「日出ずる国」と言われ、その国旗は完全にのぼった太陽を表していると言うのに。いまでも民族意識の中には太陽が半分しか登っていないのではないかと思う。

いずれにしても文明とか、文明の進展ということが、時には絶対的に善であると信じられる傾向にあるが、それが絶対的な善であるとは決して言えないのではないかと思う。

このところ中米の作家、アフリカの作家たちの作品を読んできたが、いずれもその地域の歴史の中にしっかりと根を下ろした作品だったことが印象的だった。日本の作家たちは、今のこの現実、すなわち東北大震災とか、原子力発電事故という大きな歴史の出来事の中で、物語を紡ぎだす人はいないのだろうか。それは非常に重要な働きなのではないかと思う。

2011.08.07

M.トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』

この本を読み終わった。岩波現代選書の中の一冊。出版されたのは1982年8月。たしか古書店で買ったものと思う。だから入手したのは1990年代。入手して間もなく読み始めたが、内容の難しさに圧倒されて読み進むことができなかった。その後も何回か挑戦したが果たせなかった。今回覚悟を決めて読んだ。小説というより哲学書を読んでいるようだった。

この作品はダニエル・デフォーの作品『ロビンソン・クルーソー』を土台にしている。私はこのデフォーの作品は読んでいない。私はこの『……太平洋の冥界』を買う時に、デフォーの作品の替わりになるかもしれないという変な考えを持って買ったことは記憶している。この『……太平洋の冥界』は、内容がとても難しくて一言ではとても言い表せないが、人間と人間が生み出す文明というものとの関係というか、その意味とは何かということを考えているのではないかと思う。

フライデーというしもべを得たことによって、ロビンソンが描いていた文明というものがことごとく破壊されていく。遭難した船バージニア号から取り出してきた大量の火薬を、ロビンソンはその島の洞窟の奥深くに保管していた。フライデーがこの洞窟の中で、ロビンソンに隠れてタバコを吸っていたことが原因となって、その大量の火薬が爆発した。それによってロビンソンが営々と築き上げてきた文明のすべてが破壊されてしまうところがある。ここがこの作品の山場になっている。

これを今日、すなわち2011年の8月7日に読了した。この年の3月には、大震災が引き金になって福島第一原子力発電所が爆発した。この出来事によって、第二次世界大戦後に営々と築き上げてきた日本の文明はほとんどが崩壊してしまったのではないかと思う。

人間の歴史は果てしなく文明を築き上げてはそれを崩壊させるということの繰り返しである。『……太平洋の冥界』のロビンソンは、偶然にこの島に接近した船によって救助されるチャンスがあった。しかし彼はその船長との会話、あるいはその船内の様子を知るに及んで、その船によって救助されることを拒んで、すなわちロビンソン自身はかかわりを持たなかった世界の進化した文明の中に埋没することを拒んで再び島に戻り、そこに築き上げてきた自分の文明の中に自分を解放することによってこの作品は終わる。

この本は岩波現代選書の一冊である。これは変った版型をしている。いわゆる四六版の変形というのだろうか。新書版のような縦型の形で、新書版を一回り大きくしたような形態をしている。ページ数も300ページを超えるので、重量もある。1978年5月という日付が付けられた「刊行のことば」は、世界経済が巨大化し、文明がそれまでとは違った大きな動きを示していた時代の興奮状態をうまく表現している。「思うに、われわれは大いなる歴史的転換点としての『現代』に立ち臨んでいるのであろう」と言う。このような「時代の要請」にこたえて「岩波現代選書」は発足すると言っている。

しかしいまこの2011年の時代には、この選書は休止しているように思う。現代の文明の急速な変化に対応できなくなったのか、あるいはすでにその目的を果たしたということなのかはわからない。私には前者のように思えるが、このとどまることを知らない文明の迷走の前に、私は恐れるのである。

2011.08.06

アロマオイルの世界

「生活の木」というサイトでアロマオイルを注文した。

以前八王子にいたときにある人からオイルと、そのオイルで芳香浴ができるアロマランプというのをいただいたことがある。その時からこのサイトにアクセスして、香りの世界の豊かさを感じていた。

しかしそのころは副鼻腔炎が悪化していて呼吸をするのもままならないという状態で、香りを楽しむというところまではとても行かなかった。

その後こちらに来てから、信州医大病院で副鼻腔炎の手術をしてもらって鼻の状態は改善した。その後もときどき調子が悪くなることがあって信大まで通院したことがある。しかし今年になって薬局で「鼻づまり、鼻水」などの症状に効くという薬を買って使ってみた。鼻の中に薬品をスプレーするというもの。これを使うようになってから調子も良くなり、その分いろいろな香りがずいぶん気になるようになってきた。

以前にもらったアロマランプというのが寝室の枕元に転がっていて埃にまみれているを、ずうっと気にしていたが、これを再度使ってみようと思うようになった。さいわい上記のサイトではネット注文ができるというので、アロマオイルにはほとんど予備知識がないが、とりあえず二種類のものを注文してみた。すると立派な季刊雑誌とともにオイルが送られてきた。

注文したものは「フェンネル」というものと「ブラックペッパー」というもの。どちらも普段食卓にあって愛用していたものなので、とりあえずこれでいってみようという感じだった。早速昨夜フェンネルの芳香浴を楽しんだ。素晴らしい雰囲気を作り出してくれるものだと驚きだった。

同時に送られてきた季刊雑誌にはさまざまなオイルの紹介が掲載されている。しばらく研究してみたいと思った。まずは基本的な香りを自分のものにしたいと思う。それにしてもメーカーと販売店の宣伝に乗せられるわけではないが、香りの世界というものは、いままでほとんど経験したことがなかったが、とても豊かなものなのだなと思う。ふだん一般的にはそんなに気にすることはなく日常的な話題にもならない。しかし香りを楽しむことを目的にして香りをかぐということの豊かさを楽しんでいる。

香りをかぐという行為は、たとえば文学作品などを読むときの、文章をよく味わうという繊細な感じ、あるいはオーケストラの演奏を、オーケストラ楽譜(すなわち「スコア」)を見ながら聞くという全身を耳にするという感じ、そういう感じ方と同じように、香りの微妙な違いに全身で反応するという、そういう緻密さが自分の感動を刺激するのだろう。

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