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2011.11.04

マルコス・アギニス著『逆さの十字架』

四六版、330ページ(訳者解説共)。アマゾンから買った。30日に届いたので4日ほどで読み切ってしまった。一日に80ページ強を読んでしまったことになる。初めはちょっと戸惑いもあったが、途中からは一気に読み進んでしまった。

「アルゼンチン軍事独裁政権下で警察権力の暴虐と教会の硬直化をきびしく批判」(帯)した内容で出版と同時に発禁処分を受けた。しかしスペインでプラネータ賞を受賞したことによって発禁も解かれ、一躍ベストセラーとなった。

物語はアルゼンチンの一カトリック教会で起こった出来事を描いている。その教会に新しく赴任してきた若い神父カルロス・サムエル・トーレスと、アグスティン・ブエナベントゥーラ神父の二人によって、若者を中心とした宣教と対話の集会が始められる。トーレス神父は形骸化したカトリック教会を批判し、聖書の教えに忠実に従う生活を若者たちに説く。それが成功して若者たちの中に純粋にキリストに従う生き方をするものたちが集まってくる。それは同時に祭儀を軽視することであり、礼典を無視することであり、カトリック教会の組織の崩壊につながるものであった。しかしトーレス神父は、聖書そのものを解き明かし、キリストの生き方を熱心に伝える。

同時に若者たちの動きは、その時代に反政府勢力として形成されつつあった動きに組み込まれていく。これによって悲劇が起こる。反政府勢力を弾圧しようとする警察権力によって、若者たちが集う教会が襲撃される。若者たちはやむを得ず教会に立てこもることになって、ついには催涙弾が撃ち込まれて崩壊していく。

後半はこの悲惨な出来事の指導者であったトーレス神父とブエナベントゥーラ神父とが、教会の裁判に立たされることになる。トーレス神父は同席する人々は同じキリストのしもべなのだから「キリストのしもべなら、こちらの話にきちんと耳を傾け、彼らが非妥協的で偏った危険思想と見なしているものが、現実的なメッセージとして福音書の中にちゃんと息づいていることを認める必要があるだろう。教会は神の国を築くために機能すべきものであり、そうでなければ何の役にも立たない」と思い、必ずや弁明の場が与えられると期待していた。

ところがその裁判を主導した教皇大使は一方的に裁判を進め、ついにはそこに集う人びとの「破門だ! 破門だ!」という叫びで終わってしまう。この裁判の様子を描くところは、同時に福音書のポンテオ・ピラトによるイエスの裁判の記事が並行して記述される。それゆえに2000年前に書かれた聖書の記事が、そのままの迫力をもって現代によみがえってくる。

冒頭の章には不思議な金泥の沼が描かれる。その沼の「実体は旧世界を革命というフィルターで漉した残りかすがたまったヘドロの沼」、すなわち現代世界が金とその経済的権力によって支配される泥沼であることを意味している。そして突然にその沼の中に「血に染まった軍靴と十字架が降ってきて、……軍靴の中には金がどっと流れ込み、十字架もぶすぶすと途中まで沼にはまってしまったが、互いに支え合ってどうにかこうにか浮いている」。説明するまでもなく軍靴は軍事権力を意味し、十字架は宗教の権力を意味している。そして両者とも経済力という金泥の中で、金泥にまみれて互いに支え合っているという図だ。この図が最後の章にも繰り返されて、全体を締めくくっている。

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