« December 2011 | Main | February 2012 »

2012.01.14

バルガス=リョサ著『世界終末戦争』

読み終わったぁ。四六版、二段組み、706ページもあった。ペルーの作家バルガス=リョサの作品。物語の場面はブラジル。1897年に実際に起こったカヌードス戦争を題材としている。キリスト教の終末論的な教えを説く一人の男が現れ、その地方の貧しい人々や農民、奴隷たちに教えを説いた。そしてカヌードスの地に教会堂を建て集落を形成し、ついには数万人の信徒の集団が出来上がった。そのころ発足したばかりだったブラジル共和国は、この集団が共和国に反対して元の王政に戻そうとしているのではないかというわけで、軍隊を送って戦争をしかげる。ところが近代装備を誇った軍隊は、遠征の不利と、相手は農民あるいは原住民といえども、自分たちのホームグランドで戦う有利さで、あっという間に遠征軍は敗北してしまう。続いてブラジルで最強と言われる軍隊を投入するがこれもあえなく敗北。そしてブラジル共和国政府は、あらためて数万の兵を送り、カヌードスを完全包囲し、水と食料を抑えて兵糧攻めにし、攻め落としてしまう。

バルガス=リョサの作品は登場人物も数多いし、物語の展開もスピードがある。そのために読んでいると頭の中が混乱してくるようだ。しかしいちいちその混乱の中に巻き込まれていたのでは、読みとおすことができない。このことがわかって、初めてバルガス=リョサの作品『緑の家』を読んだときには、可能な限りスピードをかけて読むことがいいと思った。センテンスも決して短くはないが、その中に込められているイメージはものすごく多様である。その多様なイメージを頭の中に叩き込むようにして読んでいくのは大変に疲れる作業だ。しかしそのイメージの塊が非常に魅力的である。その多様なイメージの中に浸っていることが、ほかの作家では得られない魅力なのではないか。

2012.01.13

『地獄の1366日』オム・ソンバット著

カンボジアの作家オム・ソンバットという人の書いた『地獄の1366日』という本を読んだ。これは大同生命保険会社が拠出している「大同生命国際文化基金」というものによって発行された。上田の図書館にそのほか東南アジアの国々の著作が全集として出版され図書館に寄贈されたもの。その中の一冊。図書館の書棚から抜いて解説を読んで即借り出してきたもの。

「カンボジア」と「地獄」というキーワードを見れば、それがすぐにポル・ポト政権時代の悲惨な歴史を意味していることが分かった。2007年2月28日の発行。四六版ハードカバー、二段組み487ページ。訳者あとがきを含めて500ページの大作。

この作家はプノンペンに住んでいたが、ポル・ポトの極端な共産主義政策によって、人間社会を組み立てていたあらゆる仕組みのすべてが否定されて、新しい国づくりを強引に推し進めるということになった。この急進的な政策によって作者もその家族、親族らとともに都会の生活を追い出されて、農村地帯に強制的に連行され、新しい村づくりを強いられることになる。そこには何の組織も作られていなかったために、人々はただ森林や農地に投げだされた恰好となり、住むところもなく、食べるものもないという状況になった。そして少しでも組織に反抗をすれば、有無を言わせずに殺されてしまうという恐怖の中で生きることになってしまう。

作者は日記を書く習慣があったが、ノートなどに書いていればたちまち怪しまれるので、ノートの切れ端やセメントの袋などを利用して、克明に記録をし続けた。それらを基にして、この「地獄」の期間の終了後に、この大作をまとめ上げた。

描かれているのは、食べ物がほとんど支給されないという状況の中で、いかにして飢えをしのぐかということが中心で、その次には強制労働の話、そして家族の死など。物語を創作したものとは違って、日時用の出来事を綴ったものなので、物語の展開に劇的なものはない。淡々と語られていくし、同じようなことが繰り返されていく。

2012.01.03

‎2012年1月1日

《灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである》。こんなすごいことばが、この社会で聞かれなくなっているということは、とても悲しい。キリストの再臨への希望と確信が、キリスト教会の中でも聞かれなくなっているのではないかと憂えるのだが……。

日本人も惰眠から目覚めるとき

ドミニカ共和国の大統領とも総統ともいわれるトルヒーリョの時代(1930-1961年)について扱った作品を三点読んだ。この『骨狩りのとき』はそのひとつである。そのほかのものはバルガス=リョサの『チボの狂宴』とガルシア=マルケスの『族長の秋』だ。特にこの『族長の秋』では、このような独裁者は、その国民の大衆が熱狂的に作り上げる虚構のシステムだと言っているようである。
『骨狩りのとき』には一か所、このトルヒーリョ大統領が姿を表すところがある。この大虐殺が行なわれた国境のある町に大統領はやってくる。それは大統領の楽団が華やかに音楽を演奏する中、その町の人々は熱狂的に大統領を迎えるという登場の仕方である。だかそこでは大統領令によるハイチ人たちの虐殺が同時に行われている。この物語のヒロインが、すさまじい暴行を受け、国境の川に向かって必死の逃亡の途中にあった仲間たちは、その...広場で殺されてしまう。このふたつの出来事が同時に、その町の同じ広場で行なわれる。民衆は虐殺は大統領令による当然の出来事であり、その大統領を熱狂的に支持することも当然のことであるとこの物語は語っているようである。
日本の原子力発電の始まりは、アメリカの利権の圧力によって、中曽根康弘、正力松太郎という政財界のトップたちによって始められた。この国の指導者たちは、利権に目がくらんで原子炉の危険性には目をつぶった。そして補助金を大量に交付することによって、地方行政をも手の内に入れて、原子炉を次々と造り出した。さらには教育までも手中に収めて、原子炉の安全神話を作り出して、国民の理性的判断力をも収奪していった。
ガルシア=マルケスが描き出す『族長の秋』という物語は、その訳者解説でも述べられているように、大統領には個人名が出てこない。単に「大統領」と呼ばれるだけである。そして物語の冒頭、大統領は誰にも気づかれずに死びととなったとき、大統領府の異変に気がついた市民たちは《何百年にもわたる惰眠から目が覚めた》と語られていく。日本も原子炉の爆発という異常事態に出会って初めて、惰眠から目が覚め始めたのか。いやそれでもなお目覚めないのか。

« December 2011 | Main | February 2012 »

August 2015
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ